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ポレンタ天国

ちょいデブおやじのダイエット奮闘記です(笑)

(人文・社会科学向け)研究テーマの見つけ方

勉強 書籍雑誌 其他

sociology.jugem.jp
「研究題目」でも「研究課題」でも「研究テーマ」でもなんでもいいですが、私はこれを見つけるのが非常に苦手です。日本以外の先進諸国には、就職に有利だからという理由で大学院進学率が上昇している国もあるようです。ということは、とくに研究したいわけではない大学院生が大量に生まれていることになりそうです。そうした院生さんは私同様、research questionの設定に苦労しているんじゃないかと思います。理系や心理学の場合は実験が中心になるかと思います。これから書くものはいわゆる文系、文献・社会調査が研究方法の中心になる人を対象にしています。


 石黒圭『この1冊できちんと書ける!論文・レポートの基本』(日本実業出版社)は研究テーマの絞り方について、このように例示しています。

①「日本語の副詞について研究したい。」
  ↓ ↓ ↓
②「日本語の副詞を留学生がどのように習得するのか、研究したい。」
  ↓ ↓ ↓
③「日本語の程度副詞を中国人留学生がどのように習得するのか、習得の順序と文体の使い分けという観点から研究したい。」

 ここからは私見ですが、①~から②に至るには、大学の教科書程度のものを読むのがいいと思います。当該分野はどのような切り口で研究されているのかを知るためです。
「〇〇学 教科書」や「〇〇学 入門書」、「〇〇学 参考書」で調べればたくさん見つかることでしょう。もっと手っ取り早く見つけたい人はミネルヴァ書房世界思想社のウェッブ・サイトを見てみましょう。それぞれ「よくわかる〇〇」、「〇〇を学ぶ人のために」という叢書を出しています。
 ②から③へ進むためには、先行研究を読む必要があります。CiNiiなりGoogle Scholarなりで探してください。

この1冊できちんと書ける!  論文・レポートの基本

この1冊できちんと書ける! 論文・レポートの基本

Google Scholar活用法」(pdfです)
http://www.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/manual/guidance14_gs.pdf


 戸田山和久『新版 論文の教室:レポートから卒論まで』(NHK出版[NHKブックス])に、先行研究の読み方があります。曰く、①メウロコ(目から鱗が落ちる)、②ハゲドウ(激しく同意)、③ナツイカ(納得いかない)、④ハゲパツ(激しく反発)の箇所に注意せよ、と。御説御尤も。とはいえ、私のような奴隷の精神構造の持ち主はメウロコばかりで、なかなかナツイカが見つけれません。ナツイカさえあればそこから研究テーマがみつかるのに……。
 戸田山はテーマに対して自分から問いをぶつけることを勧めています。

本当に?(信憑性)
どういう意味?(定義)
いつ(から/まで)?(時間)
どこで?(空間)
だれ?(主体)
いかにして?(経緯)
どんなで?(様態)
どうやって?(方法)
なぜ?(因果)
他ではどうか?(比較)
これについては?(特殊化)
これだけか?(一般化)
すべてそうなのか?(限定)
どうすべきか?(当為)

 そして疑問点をリゾーム図に表すと道筋が見つかるかもしれません。私はよく白紙を用意してそこに思いついたことをどんどん書き込みます。

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)


 佐々木健一『論文ゼミナール』(東京大学出版会)はなかなか容赦ないです。疑問を持てない人の信じやすさは

突き詰めると、自分の知識、自分が知っていることについて、厳密に考えていない、ということです。ひとから突っ込まれたり、質問されたりすると、とたんに口ごもってしまいます(227頁)

解決策は

友人に何かを説明してみることです。友人に何ら疑問を感じさせないような説明をするには、自分で先回りして問題になりそうなところをチェックする必要があります

から。

論文ゼミナール

論文ゼミナール


 先行研究はどのくらい読むべきでしょうか。白井利明ほか『よくわかる卒論の書き方 第2版』(ミネルヴァ書房)は、卒業論文の参考文献一覧に一頁以上使うことを目安にあげています。一行四十字で三十行を一頁と仮定すると、だいたい30本以上でしょうか。おもに日本語以外の言語で書かれた文献を扱う研究分野はなかなかたいへんですね。その場合は20本ぐらいでいいかもしれません。というのも、私が属した研究室から、卒業論文修士論文も学会誌に掲載された人がいますが、その論文の参考文献がそのぐらいだったんです。

2月に読んだ本

那本书我看了

映画ですが、アントワーン・フークア監督『マグニフィセント・セブン

映画『マグニフィセント・セブン』予告編


松永澄夫・編『知識・経験・啓蒙【18世紀】』(哲学の歴史6、中央公論新社)

哲学の歴史〈第6巻〉知識・経験・啓蒙―18世紀 人間の科学に向かって

哲学の歴史〈第6巻〉知識・経験・啓蒙―18世紀 人間の科学に向かって

厳密な意味における宗教的寛容は、たんに信教の自由ないし良心の自由を認めることではなく、…自分が否認したり嫌悪したりするような宗教的な意見や行為に対して、他人の自由を我慢し許容することを指すのである。(164頁)

宗教的寛容の擁護者も無神論者は敵視する。(同)

ジョン・ロックの章にこのようなことが書いてありました。日本列島在住者のなかには苦手な人も多そうですね。宗教に限らず、こうした寛容さをもちあわせていないと、交渉というものが難しいだろうなと思います。


五味政信ほか編『心ときめくオキテ破りの日本語教授法』(くろしお出版)

心ときめくオキテ破りの日本語教授法

心ときめくオキテ破りの日本語教授法

「コンピューターに負けないために」本書を手に取りました。生きる勇気をもらいました。以下、頭に浮かんだことども。

迫田久美子「第1章 日本語教師は接客業である:学習者を知り、理解することがすべての第一歩」はだめですね。教師に対して未知の言語で授業を体験させる、などはよい試みだと思いますが、最後の着地点が「トイレ掃除」で、どうしてこうなった……。

「第5章 笑う門には福来る:笑いは学習を促進する」を執筆した尾崎由美子氏は、最後の座談で、教科書と生教材とどちらが優れているかに関して、生教材のほうがフレッシュでおもしろいとしたうえで、「教室で使う分には、著作権をあまり気にしないで使えるので、いろいろと自由ですよね」(205頁)と語っています。著作権について誤解があるような……。

「第8章 演じないロールプレイ:もっと自由に楽しく活用してみよう」の渋谷美希氏と「終章 『楽しい日本語授業』の条件とは何か?」の五味政信氏はジェンダーセクシュアリティやそれにまつわる偏見・差別・人権についてちょっと無頓着すぎやしませんかね。「恋愛について扱うことが難しい場合や、LGBT性的少数者)への配慮が必要な場合もあるので、全く違った設定も考えたほうがいいでしょう」(158頁)だの「この学習者はどんな例に登場してもらっても大丈夫、どんな内容の話題を投げかけても大丈夫と教師の側が安心できる学習者がクラスには必ずいるものです」(189頁)などと留保をつければ問題ないのでしょうか。いわゆる「いじり」は受像器の中から広まった行為だと思われますが、教師が学習者に対して行うときの権力構造を意識しない日本語教師

志村ゆかり「第3章 教師は仕掛け人である:工夫次第で学習者のモチベーションがぐんと上がる」や筒井千絵「第4章 制約のなかで戦え:与えられた条件で最大の効果を上げる教師のワザ」、石黒圭「第9章 教師は何もしなくていい:学習者が主体的に学べる環境作り」はたいへんありがたい論考でした。なるべく文脈を与えて練習させたいものです。そして、おおむね二十歳前後の、言ってみれば「いい年した」青年たちが相手なので子供じみた練習を避けたいし、「〇〇ちゃん、すごい、すごい」式の「ほめて伸ばす」もしたくないし。石黒の論考でウィリアム・ジェームズやミハイル・バフチンと出会えたこともうれしかったです。


望月紀子『ダーチャと日本の強制収容所』(未來社)

ダーチャと日本の強制収容所

ダーチャと日本の強制収容所

 ダーチャ・マライーニの『La nave per il Kobe』が拙宅のどこかに埋もれているはずです。著者はイタリアのホロコーストについて、良心的サボタージュがあったように書いていますが、『ライフ・イズ・ビューティフル』……。何を書かないかにも著者の思想がうかがえるものです。私なら京都の被差別部落について触れたかもしれません。


曹乃謙『闇夜におまえを思ってもどうにもならない』(論創社

 『パードレ・パドローネ』を思い出しました。性欲を持て余した貧乏青年たちが登場する点が同じです。解決策はこちらのほうがちょっとした衝撃を受けます。翻訳のかたが下放を見聞しているのもすごい。
www.toho-shoten.co.jp


日本ネパール協会『ネパールを知るための60章』(明石書店)

ネパールを知るための60章 エリア・スタディーズ

ネパールを知るための60章 エリア・スタディーズ

二千年に出た本なので、現在のネパールとはずいぶん違う点が多いかもしれません。特に医療や教育。ネパールの高等教育では、(当時)まだPCがない。そんな状況で応用問題を考えさせようとしても、学生は答えを暗記してしまう。それなら詰め込み教育でまず知識を増やしたほうがよい、との主張にはなるほどと思いました。末の弟の妻が大家族三十人分の食事を用意しなければならず、独立したら仕事がはかどるようになったとか、女性の自立には職業教育が欠かせないとか、こういうところは日本にも当てはまりそうです。登山客の出すごみが問題だから当局は対策をとれ、と当の登山家が注文するのはどうなのか。

1月に読んだ本

那本书我看了

«日本語学»2016年11月特大号(明治書院)
www.fujisan.co.jp
 年末に読みました。特集は「手書きの字形を考える」でした。版元のウェッブ・ページによると、「世界言語の中の日本語、史的変遷、言語芸術における特徴など、多彩な視点から日本語研究の最先端を広く一般に紹介。国語教育現場へも実際的・具体的な情報を提供し、研究と教育の橋渡しをする。」*1とあります。特集の記事で、はじめの三つは字体の歴史や指針の紹介としてありがたかったです。残りは随筆ないし意見文とでも呼んだほうが適切のように思われました。投稿規定を読むと、「日本語学、日本語教育学、国語教育学に関する、投稿者独自の新しい知見を含む研究紹介論文」の「採否は、本誌編集委員の審査により決定」すると書いています。特集についてはすべて依頼論文なんでしょうか。参考文献のないものは通常「論文」とみなされないような気がしますが。

 明朝体は活字のために生まれた書体です。もっと手書きの書体に近いものに、教科書体があります。日本語を学習する人のための教科書も、たとえば『みんなの日本語』(スリーエーネットワーク)などは教科書体で書かれています。ところが、日本語学校で配る仮名の宿題用紙がしばしば明朝体で書いてある。学習者の中には、どちらが正しいのかと悩む人がいます。二千十六年二月に文化審議会国語分科会が報告したし指針*2にしたがえば、こんなものはどちらでもいいわけです。

 私に限らず、三人の読者の皆様におかれましても、初等教育中は漢字の「とめ・はね・はらい」等を厳しく指導された経験をお持ちではないかと思います。この指針によると、字体が同じであれば字形の差異にこだわらなくていいようです。この報告が発表された当初はちょっとした騒ぎになっていたように記憶しています。けれども、実はこの見解は戦後に「当用漢字字体表」が発表されたときから何も変わっていないとのことです。*3なぜか教育現場に周知されないまま現在に至っている、と。いまでも、従来の方針を踏襲し、「とめ・はね・はらい」を厳しく指導して「美しい」漢字の書き方を身につけさせるべく奮闘中の国語教員・日本語教師が大勢いそうです。浸透しなかった理由はなんとなく想像がつかないでもない。日本列島社会に土着の人たちは、行政に対して水戸黄門めいた役割を求めがちですから、当用漢字/常用漢字字体表に「正しい字形」を勝手に見出したとか、こんいちのように電網が普及するまえは、当の資料にこうしてたやすく接するのが難しかったのだろうとか。いずれにせよ、明朝体はもともと印刷のためにつくられた形なのに、それが楷書の正しい形として手書きの規範とさえされつつある、などというのは、「便法がなぜか至上命令と化していく」、と一般化してみると、他の分野でもよく見かける光景です。

 これを書きながらふいに思い出しました。小学校中学年時の担任教員が、「『島』の字は正方形に近く書くときれいなんだよ」と。あれも明朝体が「正しい」と思っていたせいでしょうね。


田原洋樹『ベトナム語のしくみ』(白水社)
 年末に旧版を読みました。

ベトナム語のしくみ《新版》 (言葉のしくみ)

ベトナム語のしくみ《新版》 (言葉のしくみ)

 全体の見取り図をえたかったので読みました。語彙はもちろんですが、構文も中国語と似ているんですね。でも、ちょっと語順が変わるところもあって。


エドゥアルド・デ・フィリッポ『デ・プレトーレ・ヴィンチェンツォ』(イタリア会館出版部)

エドゥアルド・デ・フィリッポ戯曲集 1 デ・プレトーレ・ヴィンチェンツォ

エドゥアルド・デ・フィリッポ戯曲集 1 デ・プレトーレ・ヴィンチェンツォ

  • 作者: エドゥアルド・デ・フィリッポ,ドリアーノ・スリス,大西佳弥
  • 出版社/メーカー: イタリア会館出版部
  • 発売日: 2012/06
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
「エドゥアルド・デ・フィリッポ戯曲集」第1巻です。全5巻の予定が、残念ながら2巻で頓挫した模様。第1巻の巻末では、以下続刊として『フィルメナ・マルトゥラーノ』、『サニタ地区の❝ゴッドファーザー❞』、『クピエッロ家のクリスマス』、『幽霊たち』が予告されていました。予定を変更して『クピエッロ家…』の出版を前倒ししたけれど……といったところでしょうか。
www.rai.it
附属のDVDにはこちらのテレビ放送版が収録されています。日本語字幕がうれしいじゃねえか。特典映像では制作の舞台裏を垣間見ることができます。


トーマス・ペイン『コモン・センス』(岩波文庫)

コモン・センス 他三篇 (岩波文庫 白 106-1)

コモン・センス 他三篇 (岩波文庫 白 106-1)

 この岩波文庫版が刊行されたのは、千九百七十六年です。それにしては、あるいは、もっとあけすけに言うならば、岩波文庫でありながら、読みやすい訳文でびっくりしました。

社会と政府とを混同してしまって両者の間にほとんど、いな全く区別をつけようとしない著述家たちがいる。…社会はわれわれの必要から生じ、政府はわれわれの悪徳から生じた。(十七頁)

つまり徳行に頼っていては世の中を治めることができないので、政府という様式が必要になったのだ。したがって政府の意図や目的もまたここにあると言える。すなわちそれは自由および安全である。(二十一頁)

聖書のこの個所は簡潔明快だ。…ここで全能の神が王政に抗議したことは事実である。…なおカトリックの国で聖書を民衆に見せないようにしているのは、僧侶の策略と並んで国王の策略も加わっていると信じるに足る理由がある。(三十三頁)

アメリカはヨーロッパのどこかの国が構ってくれなくとも、従来と同じく、いな恐らくそれ以上に繫栄すると思われるからだ。(四十四頁)

イギリスが我々を守った動機が愛情ではなくて打算であることを考えもしないで、またイギリスはわれわれのためにわれわれの敵から守ってくれたのではなく、イギリスのためにイギリスの敵からわれわれを守ったことを考えもしないで、その保護を誇りにしてきた。(四十五頁)

ヨーロッパはわれわれの貿易市場なので、どの国とも偏った関係を結ぶべきではない。(四十九頁)

地球上でアメリカほど恵まれた状態にある国はない。(七十四頁)

今こそ人間の魂にとって試練の時である。夏場だけの兵士や日の当たる時だけの愛国者は、この危機に臨んで祖国への奉仕にしり込みするだろう。しかし今この時に踏みこたえる者は、男女を問わずすべての者から愛や感謝を受けるに値するのだ。暴政は地獄と同様に、容易に征服することはできない。しかしわれわれには戦いが苦しければ苦しいほど、勝利はますます輝かしいという慰めがある。(百十七頁)

以下は、ある人の思い出話である。中国が日本と戦っていた頃、上海の古本屋で『コモン・センス』を見かけたので、ページをめくってみた。そのときとくにアンダーラインを引いた箇所が目についたので、読んでみると、それは次の一節であった。「大陸が永久に島によって統治されるというのは、いささかばかげている。自然は決して、衛星を惑星よりも大きくつくらなかった。」(本書五五ページ)あの悲痛な時代に、恐らくペインは中国の知識人の心の支えになっていたことと思われる。(174・175頁)


吉行淳之介・編『奇妙な味の小説』

編者が記しているとおり、江戸川乱歩の定義から外れた作品が多いです。生島治郎「暗い海 暗い声」は、あ、これがあのときのショート・ショートだったか、と。あとの作品は全部忘れそう。


国際交流基金『文字・語彙を教える』(国際交流基金日本語教授法シリーズ3,ひつじ書房)

文字・語彙を教える (国際交流基金日本語教授法シリーズ)

文字・語彙を教える (国際交流基金日本語教授法シリーズ)

 ほんとうに「書いて覚えるしかない」のか、かねがね疑問でした。学校教育を受けていたときには、漢字にしろ、英単語にしろ、とにかく十回ずつ書く作業が課されたような気がしますが、学習者に興味を持たせたり、体系的に整理させたりしないとなかなか辛かろうと思います。私じしんは、外国語の語彙を増やすことがひどく苦手です。ヨーロッパ言語共通参照枠で言うところのB2レベルに二年間で達するには、漢字を千以上読めるようにしなければならいないでしょうが、そうなるためには自律学習する方法を提示しないといけません。

pluit-lapidibus.hatenablog.com

*1:www.meijishoin.co.jp

*2:常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」 www.bunka.go.jp 三省堂から書籍が刊行されています。

*3:thepage.jp

12月に読んだ本

那本书我看了

 必要に迫られて、精神分析批評をちょっと齧ることにしました。若いころにも、川本晧嗣ほか編『文学の方法』(東京大学出版会)で批評の実践例を読んだことがあります。「なにいってだこいつ」以外の感想が浮かびませんでした。このたびは大浦康介・編『文学をいかに語るか:方法論とトポス』(新曜社)と、丹治愛『批評理論』(講談社選書メチエ)を繙きました。この三作で精神批評理論を解説しているのは、いづれも山田広昭です。『文学を~』のほうはやはり何が何やらわかりませんでした。『批評理論』のほうは、谷崎潤一郎の『夢の浮橋』をめぐってスリリングな読解が展開されます。『夢の浮橋』を読みたくなりました。とはいえ、これは精神分析批評よりナラトロジーの読みとしておもしろかった。最後のとってつけたような精神分析的な読みは余計でしょう。

 メモを取らなかったので、うろ覚えで書きますと、『文学の方法』では、「ムッシュー・テストと劇場で」で、劇場の柱がファロスの象徴としてだかなんだか、そんな分析だったように思います。

 医学の分野で精神分析はほとんど顧みられないようです。文学研究でいまだにありがたがっている人も少ないのかもしれない。教科書風の本の解説者が同じ人なのもまたそうした事情ゆえでしょうか。イタロ・ズヴェーヴォの『ゼーノ氏の意識』みたく、作品自体が精神分析の影響下にあるなら、それなりに意義深いものになりそうです。

文学の方法

文学の方法

文学をいかに語るか―方法論とトポス

文学をいかに語るか―方法論とトポス

知の教科書 批評理論 (講談社選書メチエ)

知の教科書 批評理論 (講談社選書メチエ)


pluit-lapidibus.hatenablog.com


ダン・レメニイ『社会科学系大学院生のための研究の進め方:修士・博士論文を書くまえに』(同文館出版)

社会科学系大学院生のための研究の進め方―修士・博士論文を書くまえに

社会科学系大学院生のための研究の進め方―修士・博士論文を書くまえに

 11月にななめ読みした本です。これまで私にはアンケート調査の意義がまったくわかりませんでした。これを読むと、経営学の世界ではごくごく一般的な手法であると知れてよかったです。文化の違いですな。働きながら経営学修士号の取得を目指しているけれど、研究方法なんて大学を出てずいぶんになる今となってはとうに忘れている、といった方には役立ちそうです。


日暮聖『近世考:西鶴近松芭蕉・秋成』(影書房)

近世考―西鶴・近松・芭蕉・秋成

近世考―西鶴・近松・芭蕉・秋成

 激やば。興奮しました。江戸や上方に貨幣経済社会が到来した、という視点で読み解くと近世文藝がするする解釈できてしましまいます。本書の存在を知るきっかけは『屋上庭園』(エディション・イレーヌ)所収の書評でした。その点では感謝しておりますが、失礼を承知で言えば、あの書評はちょっとうがち読みにすぎるでしょうね。西鶴近松のいた上方は爛熟退廃というより発展期でしょうし、諸論考の〈眼〉は江戸から隠遁した芭蕉にあるでしょうし。

 近松の『心中宵庚申』は従来、作劇法に難があるとされてきました。ところが、貨幣経済社会が成立したことを背景にすえてみると、見事な筋運びの作品に変貌するんです。なんとアクロバティックな。著者は触れていませんけど、『心中天網島』にもこの視点を掛け合わせてみると、どうなるのでしょうね。


山内博之『OPIの考え方に基づいた日本語教授法』(ひつじ書房)

 編集者の奮起を期待したいものです。まず悪文を何とかしてください。つぎに、根拠をはっきりと示してください。「~ではないかと思われます」が多すぎます。学生のレポートなら不可をくらいますよ。随所にさしはさまれるコラムが読者の知的水準を低く想定しているのも気になりました。内容を圧縮してもっと低価格で販売すべき本だと思います。

 インフォメーション・ギャップをとりいれたり場面依存型のシラバスを導入したりすることに異存はないけれど、それをどうやって体系化するかが肝腎でしょうに、そこがするりと抜け落ちているのも、ね。その点は『まるごと 日本のことばと文化』が具現化していると言えなくないかもしれない。


廣末保『心中天の網島』(岩波書店)

心中天の網島 (古典を読む 3)

心中天の網島 (古典を読む 3)

 私はこの「古典を読む」第3巻で読みましたが、現在入手しやすいのは「広末保著作集」版(影書房)です。
心中天の網島 (広末保著作集)

心中天の網島 (広末保著作集)

 台本を1行1行丹念に読んでいく著者の力量に驚嘆しないわけにはまいりませんが、けっきょくこの戯曲が現代人たるわたくしには難解であることにはかわりませんでした。初演以来再演されなかったのを半世紀近くたって近松半二が改作、さらに歌舞伎になって命脈を保っているわけですから、当時の人にとっても理解がむずかしかったのかもわかりません。そうやすやすと心中させない門左衛門。貨幣経済社会の到来を横軸に解釈できないものかとも、持ち前の悪い頭で考えてみましたが、むりでした。


亀井秀雄「『坊っちやん』:『おれ』の位置・『おれ』への欲望」(『主体と文体の歴史』所収、ひつじ書房)

 著者の「『草枕』」を國文學編集部『知っ得夏目漱石の全小説を読む』(学燈社)で読んで、そのキモさ(ほめことば)に驚愕しました。(『主体と文体の歴史』にも収録されています。)ちょうどNHK-FMの朗読の時間が夏目漱石の『坊っちゃん』でしたから、ふと思いだして『知っ得』を読み返してみると、亀井先生が『坊っちゃん』についての論考も遺しておられることを知って読んだ次第です。『坊っちゃん』を朗読で一気に聞いてみれば、主人公にどうも江戸っ子っぽくない部分があります。人からされた仕打ちをいつまでも根に持っている点などが。それはなぜかと言いますと、あとは亀井先生のご賢察をぜひご覧ください。あいかわらずのキモさ(ほめことば)でした。


«悲劇喜劇»2017年1月号(早川書房)

悲劇喜劇 2017年 01 月号

悲劇喜劇 2017年 01 月号

古今亭志ん輔のウェッブログをひところ熱心に読んでおりまして、そのころを思い出しました。志ん輔師匠の文章は昔も今もたいへん魅力的です。


中村捷・編『人文科学ハンドブック:スキルと方法』(東北大学出版会)

人文科学ハンドブック―スキルと作法

人文科学ハンドブック―スキルと作法

 たぶん高校生を対象に、文学部の研究をさらりと紹介した本です。日本の高校生は、大学で何をするか深く考える機会を持たないままに志望大学、学部学科を決める例がままあるようです。周囲の成人に相談しても頓珍漢な助言しか受けられないことも多いでしょう。こういう本を読んでおけば選択に後悔する人が減るかもしれませんね。

 野家啓一が、人文科学も役に立つとか、人文科学は心を鍛えるとか、書いていて、へえこんな凡庸なことをいう人だったのかと……。沼崎一郎は、とにもかくにも誰でもいいから大学の教員にどんどん会いに行け、と書いていて、これはいいですね。指導教員にすら会わずにドツボにはまっていく大学生がときおりいます。それが私だ。


国際交流基金『初級を教える』(国際交流基金日本語教授法シリーズ第9巻、ひつじ書房)

初級を教える (国際交流基金日本語教授法シリーズ 9)

初級を教える (国際交流基金日本語教授法シリーズ 9)

 別の版元からも同じような叢書がでていますが、私はこちらのほうが好きです。日本語を母語としない日本語教師が主な対象読者ですけど、日本語母語話者も参考にするに足る内容・水準です。まあ、ただ、初級に関して言えば、これまでに読んだ本と大差ありません。導入→文型練習→基本練習→応用練習の順に、とか、コミュニケーション能力を育てる授業設計を、とか。私が見聞きした範囲に限りますと、外国語としての日本語を教える学校の日本語教師はしばしば、①母語でその課の文型をひととおり説明→②学生に教科書の問題を解かせて終わり、でしたから、こういう人たちの手元に本書が届いて授業の改善につながるといいな、と思います。うちの学生はなぜか話せるようにならない、と相談されましても、そりゃそうでしょうよ、としか返しようがありませんから。


筒井清忠・編『新昭和史論:どうして戦争をしたのか』(ウェッジ)

新昭和史論―どうして戦争をしたのか (ウェッジ選書)

新昭和史論―どうして戦争をしたのか (ウェッジ選書)

 編者は近年この手の本を立て続けに出していますね。
解明・ 昭和史 東京裁判までの道 (朝日選書)

解明・ 昭和史 東京裁判までの道 (朝日選書)

 その中でどうしてこれを選んだのかというと、執筆者が戸部良一五百旗頭真北岡伸一山崎正和川本三郎、日暮吉延と豪華な顔ぶれだったからです。版元名を見て、たいへん失礼ながら少し危惧するところなしとしなかったのですが、「特定の制度やはたまた特定の組織の『陰謀』や『共謀』等で歴史を説明しようとするような人は、本書には一人も入っていない」(筒井、2頁)ので、安心して読めました。

 戦前の二大政党制はごく短期間に終わりました。両党とも慢性不況を克服できず、野党は与党のスキャンダルを攻撃するばかりで、政党政治に対する不信感が高まります。同時に、明治以来の国是であった親英米志向の外交方針が特権的な旧支配体制を維持するものとみなされ、攻撃される対象になります。そして、満州事変という事実上のクーデターが起こると、天皇・政党・軍部のバランスが崩れて、集権的な意思決定能力にひびが入りました。この状況で総理大臣に就任したのが重要な局面でことごとく悪手を打つ男・近衛文麿。外交安全保障を国内世論受けの印象論でしか理解していませんでした。また、当時の新聞は中間層と草の根階層が支持基盤でした。煽情主義とナショナリズムに影響されやすいこの階層に訴えるために、政府攻撃と愛国心を主題に据えて、対外強硬の姿勢をとります。

 今世紀の世界でも見たことがあるような気のする光景ですね。

 山崎正和の担当分「第5章 インテリと知識社会の変貌:アカデミズム・ジャーナリズム・ポピュリズム」は編者が大幅に改稿したものです。原テクストは「『インテリ』の盛衰:昭和の知的社会」だそうで、これ、たしか大学入試対策の現代文で問題を解いたはず。岩波文庫発刊の辞から亜インテリ(知的中間層)が学界に対抗心を燃やしていたことを明らかにするくだりはまだ覚えています。若いころの自分は現代文の評論問題や英語の長文問題に知的好奇心を刺激されていたものです。

 勝海舟は大陸の大きさをきちんと認識した発言を『氷川清話』に残しています。どうもこのあたりを理解せずに、かつ事実と願望を区別できない人が昔も今もいますよね。

台湾・香港・韓国の日本語学習者数に関して国際交流基金・電通が共同で行った調査の質について

日本語教育日本語教師 日本語日本文化 勉強

 先日、このような表を見ました。


http://yasashii-nihongo-tourism.com/wp-content/uploads/2016/12/survey-1024x594.png*1


 韓国の勤労世代はおよそ六人に一人の割合で日本語を学習しているとの推定を見て、そんな莫迦なと思ったのは私だけではないでしょう。「3人集まれば70~80%の確率で1人は日本語を話せる人がいるという結果も出ています」*2と述べていますが、これも日本国内で外国人観光客を見るにつけ、実感に乏しいのでは。


 当該ウェッブ・ページに一般公開用資料が貼付してありましたから、調査方法を見てみました。それによると、手法は「現地調査会社が保有するパネルによる、Webアンケート」*3で、回収サンプル数は千件だそうです。*4で、「割付は対象地域の性年齢別の人口比率と分析に充分な回収数を考慮し、全体サンプル数1000件を10または5の単位で割り当て。(15歳-24歳は18-24歳に按分)」*5と。


 この調査は「無作為抽出法」で標本を選んでいないようです。この点については、こちらをご高覧ください。

「無作為抽出」=「でたらめ」ではない
では、単に「でたらめ」に調査対象を選んだ場合には、どんな問題があるのでしょうか。


ここで一つの事例を考えてみましょう。ある町で、住民を対象に標本調査を行うとします。「でたらめ」に調査対象を選ぶために、簡単な方法として、その町の一番大きな駅の前に立って、通行する人に誰でもかまわず無作為に(でたらめに)声をかけて、調査してみたとしましょう。


この方法は、無作為抽出法となっているでしょうか。


この方法は、次のような理由から、これは無作為抽出法となりません。


駅前を歩いている人は、町の住民すべてを代表しているとは限りません。住民の中には、その駅を使わない人もいるでしょう。また、調査をしている時間帯に、住民すべてが駅前を歩いているわけではないので、ほかの時間帯にしか出歩かない人は調査されません。さらに、忙しい人は、呼びかけても立ち止まって調査に協力してくれないかも知れませんので、立ち止まって協力してくれる人は、時間に余裕のある人だけかも知れません。


つまり、この方法で調査に回答してくれる人たちは、その町の住民全体の中から選ばれたというよりは、むしろ、その町の住民のうちで、その駅を利用する人で、かつ、調査の時間帯に駅前を歩いていて、さらに、立ち止まって答えてくれた人、ということになります。したがって、調査に協力してくれる人は、町の住民の中でも、上述のような特定の特徴を持った人たちと考えられます。そのような人たちが、その町の実態を反映した縮図になっているとは言えません。


したがって、このような方法で統計調査を行っても、その結果が何を意味するのか、わからないものとなってしまいます。 *6


 これをもってこれをみれば、今回の調査では、台湾・香港・韓国に在住している人のうち、インターネットを利用していて、かつ調査会社にすでに登録されていた人(?)という特徴を持った人たちが回答したと考えられます。


 ところで、この調査方法を見て、昨年に産経・FNN合同世論調査がちょっとした騒動を引き起こしたことを思い出したのは私ひとりではないはずです。安保法案反対デモに参加した人は全体の3.4%にすぎないと主張したかったようですが、それだと日本全体で三百四十万人もいる推計になってしまった「世論調査」です。今回の国際交流基金電通との共同調査も回収サンプル数がきっちり千人となっていることからすると、同じ問題をはらんでいるように思われます。どんな問題かは以下の通りです。

また、産経新聞世論調査を見てみると、どうやら電話をかけて回答してくれた人がちょうど1,000人になるまで聞いているようだ。ということは、回答してくれた人が1,000人になった時点で調査を打ち切っている可能性が高い。電話をかける回数はあらかじめコントロールできるのだけれども、かかった相手が回答してくれるかどうかは実際にやってみるまで分からないので、ちょうど1,000人が回答するタイミングをコントロールすることができない。例えば、朝から調査を始めてたまたま午後3時に1,000人になったとしたら、そこで調査が終わることになる。


もしそのようなやり方をしていたら、偏りが生じる。例えば、朝から仕事に出ていて、午後7時ぐらいに家に帰ってくるような人は、午後3時に調査を打ち切っていたとしたら、調査の対象にならない。すると、昼間留守にするような人のデータがとれなくなり、偏った結果となってしまう。それこそ、安保法案反対集会に出ていて留守だったらどうするのだろうか。


真っ当な世論調査だと、調査対象になった人が留守の場合、何度も電話をかけなおす。例えば、午前10時に電話をかけて、対象者がいなかったとしよう。そうしたら時間を改めて同じ人にかけなおすのだ。朝日新聞なんかは以下に引用したように何度も電話をかけて、偏りがなくなるようにしている。*7


 というわけで、今回発表された調査の標本は、1)インターネットを利用できる 2)現地調査会社が保有している 3)調査開始後早めに回答できた 人たち、だと言えるでしょうから、標本に偏りがありそうです。もしそうであるならば、標本誤差を考慮して母集団を推計したところで、精度の高い推定とは言えないのではないでしょうか。「12月20日に発表した国際交流基金電通共同台湾・香港・韓国日本語学習者調査は、日本語教育関係者から驚きの目で見られているようです。」*8はい、たしかに驚きました。


 かねがね統計学を勉強したいと願いながらものんべんだらりと過ごす日々が続いておりました。それが、今回の発表を受けて、入門程度の知識を得ることができました。関係各位に感謝の念を述べたいと思います。これを契機に学習を継続できるとよいのですが。



ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

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*1:吉開章(2016)「台湾・香港・韓国の日本語学習者は推定800万人規模(国際交流基金電通共同調査発表)」『やさしい日本語ツーリズム研究会』(2016年12月23日閲覧) http://yasashii-nihongo-tourism.com/2016/12/20/275

*2:ibid.

*3:株式会社電通「20161220台湾香港韓国日本語学習者調査_一般公開用.pdf」(2016年12月23日閲覧) https://drive.google.com/file/d/0B_YYwiD-_l6lblRNVElULUpwS28/view

*4:ibid.

*5:ibid.

*6:総務省統計局(2010)「標本調査とは?:調査のしくみと設計」『統計学習の指導のために(先生向け)』 http://www.stat.go.jp/teacher/c2hyohon.htm

*7:西原史暁(2015)「産経・FNN世論調査の安保法案反対集会参加を問う質問に表れた世論調査の質」『Colorless Green Ideas』(2016年12月23日閲覧) http://id.fnshr.info/2015/10/25/sankei/

*8:吉開章(2016)「国際交流基金電通の共同日本語学習者調査結果の読み方補足。」『やさしい日本語ツーリズム研究会』(2016年12月23日閲覧) http://yasashii-nihongo-tourism.com/2016/12/22/290

じゃあ、どうするか(日本語教師の待遇はよくならない②)

書籍雑誌 日本語教育日本語教師 那本书我看了

こちらのつづきです。
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 小学校に上がる前後の頃だと思いますが、水泳を習う講座に通わされました。同じく通う子供に暴言を吐かれたのだと思います。私はサウナで講師陣に被害を訴えました。講師陣は私の訴えを真剣に取り上げることはなく、ただ、やられたらやり返す気概を持たなければならないと諭すだけでした。当時の私は憮然としてその場を去ったことがよほど悔しかったのでしょう、今でもこうして覚えています。

 ただし、これ、講師陣の対応を不満に思った当時の私がたぶん間違っています。私領域に属することがらですから、まず私が当事者間で解決を図るべきでした。顧客の間で何か揉めごとがあった場合は講師陣が仲裁に入ることとする、といった契約事項があれば話は別でしたろうが。


 先日、岡本薫『著作権:それホント?』(発明推進協会)を読みました。

著作権―それホント?

著作権―それホント?

1)私的利用のための複製は著作権の例外として認められているため、美術館や書店が写真撮影を禁止することは著作者の著作権とは無関係。
2)「映画館での盗撮はすべて犯罪」は嘘。
3)研究目的で論文などを無許諾で複製したり、ウェッブ上の著作物を印刷したりすることはすべて違法。
4)翻訳だけでなく要約も二次的著作物に該当し、著作者は無断で作成・利用されない権利を有している。
5)パブリック・ヴューイングは非営利・無料であっても放送局の著作隣接権を侵害している。
6)図書館からの本の無料貸し出しについて、図書館等が著者に補償金を払う制度が欧州で拡大している。
などは知らない人が多そうです。

 そんなことをいちいち覚えていられないのはもっとも至極でありまして、著作権侵害かもしれないと思える感覚を養うことが肝要だ、と著者は書いています。借地借家法を知らなくても不動産屋さんで賃貸契約を結べるのと同じです。おかしいと思ったら、文化庁のウェッブ・サイト「著作権なるほど質問箱」が役に立ちそうです。
著作権なるほど質問箱

 『世間さまが許さない!』(ちくま新書)で見られた著者の主張はここでも繰り返されています。
1)契約の不備が法律のせいにされる。
2)利害対立がある場合に交渉して合意した結果が契約なのだから、すべての契約当事者が契約内容に不満をもつのが普通の状態である。
3)それなのに自分の思想や利害を絶対視して、自分にとっての不満を不公正だと考える。
4)それは価値相対主義に基づく相対化ができずにルールを善悪やモラルと混同しているからである。
5)そのため、利害の対立する相手を悪呼ばわりし、自分は弱者と表現する人が非常に多い。*1
6)契約マインドがないから、私的自治の領域にある問題を法律ルールづくりで解決したがる。すなわち、自ら努力したくないというだけの理由で、行政に水戸黄門を期待する。


 よく言われることですが、米国民は行政に頼らず常に裁判で問題を解決しようとします。司法制度が迅速な裁判を受けられるものであることも背景にあります。その結果として、裁判を回避するために民間の契約・合意システムが発達しました。権利者が黙っていたら何も起こりません。海外で海賊版が蔓延っているのなら、裁判を起こすしかないのです。ひとりで裁判をするのが無理なら団結するしかありません。著作権に関して映画会社や無線放送業者が例外的に優遇されているのは、その政治力あればこそ。


 とまあ、ここまで書けば賢明なる3人の読者の皆さま(非制限用法)にはおわかりでしょう。日本国の仮想空間では、「労働基準監督署は何をやっているんだ」などという水戸黄門視聴者の怨嗟がよく聞こえてまいります。しかしながら、権利は自ら行使するものです。
1)雇用契約を交わす前に職務内容を明確にしておく。
2)社内に労働組合がない場合は地域合同労組に相談する。
3)労働局や労働委員会に相談する。
4)それでも埒が明かないときは労働裁判を起こす。

労働法入門 (岩波新書)

労働法入門 (岩波新書)

 まずは逃げろ、と言われることもあります。それも手段の一つです。ただ、業界全体の労働環境が改善することを願っておきながら、「逃散」するのは、ずいぶん迂遠な道じゃありませんかね。
eulabourlaw.cocolog-nifty.com

 あと、現在なりかつてなりの勤務先の実態を告発するウェッブ・サイトがありますけど、あれで何か変わるのでしょうか。改善するどころか、いちど覘いたときの印象ですと、内容から容易に個人を特定できそうでしたから、勤務先の経営者から守秘義務違反に問われるかもしれません。ウェッブ・サイトの管理者は匿名制で登録制だから安心などとおっしゃっていたように思いますが、そんなもん「捨てアカ」でいくらでも閲覧できますしね。*2


pluit-lapidibus.hatenablog.com
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*1:www.jiji.com

*2:本論と特に関係ありませんけど、このかたは、くれぐれも内密にと言われたことをご自身のウェッブログで全世界に公開してらっしゃいますよね。

11月に読んだ本

那本书我看了

町田和彦・編『華麗なるインド系文字』(白水社)

華麗なるインド系文字

華麗なるインド系文字

ウィキペディアを眺めていると、「සිංහල」や「မြန်မာဘာသာ」といったかわいらしい文字に出くわすことがあって、何語かしらと思っていました。本書では、ブラーフミー、梵字デーヴァナーガリー、グルムキー、グジャラーティー、ベンガル、オリヤー、シンハラ、チベットビルマ、ラオ、タイ、クメール、テルグ、カンナダ、マラヤーラム、タミルの各文字が対比一覧リストに並べられています。それ等を眺め、書き順を覚え、文字の豆知識を得る、楽しい本でした。教養とは一人で暇つぶしのできる能力のことである、と言ったのは中島らもでしたが、老後の趣味によさそうです。大学に在籍時、マラヤーナム語の授業が開講されていまして、なんとなく、北米少数民族の言語だろうと誤った推測をしておりました。



細川英雄『増補改訂 研究計画書デザイン』(東京書籍)

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

 序文によると、増補部分はもっぱら「この本の読み方・使い方」とコラムのようです。まあ、これが、本書の旧版を読んだことでいかに人生が変わったか、みたいな礼賛ばかりでして……。生活・仕事と「研究」を統合しようぜ、と言われましても、大学を卒業していれば当然のことなのでは? 皆さん毎日せっせとPDCAサイクルを回しておいでですけれど、あれなどは、大学でいえば、仮説→実験(調査)→考察でしょう。大学の学問は役に立たなかった、と公言する人に私は出会ったことがありませんが*1、もしそういうかたがいらしたら、本書は役に立つと思います。「そもそも」にまでさかのぼって解説してありますから。私は応用技術より根本原理を教えてくれる本のほうが好きですけど、この本はちょっと自分に合いませんでした。

*1:私自身は大学で学んだことが役に立っているとはいえ、研究というものに向いていないこともまた確かなのがつらい。