ポレンタ天国

ちょいデブおやじのダイエット奮闘記です(笑)

海外日本語教師になる前に〈シリーズ大きな主語②〉

※伝聞した程度のことをエラソーニ*1語ります。

 もう若くない人が、若者は○○語を勉強して○○で働いたほうがいい、などと無責任なことを助言することがあります。(○○に入る国名はいくつかパターンがあります)なぜ無責任かと言うと、そういう国の査証の制度が変わって外国人の就労がしだいに厳しくなっていると報じられる例があるからです。中流の暮らしを勝ち取るためにはどんだけ成功しなきゃいけないんだよと不安になる国もあります。現地在住で、こっちにおいでよと呼びかける人たちはしばしば、同朋を誘うことが生計手段になっています。

 そう勧めたくなる気持ちもわかるんですよ。そりゃ私もこの国の行く末に楽観していません。町田康は二十年前に、「近々滅亡すると思われるこの国で」といったようなことをすでに書いています。それを読んだときは、なんと荒唐無稽な、と思ったものですが、今はその頃より現実的に感じられます。

 ですがね。アジア諸国で現地採用された場合、しかも最もなりやすい日本語教師になったと仮定すると、*2月にもらえる賃銀はせいぜい6~12万円程度です。*3現地の物価は日本より安いから問題ない、と考えるかもしれません。たしかに暮らせます。日本国で何も払わなくてよいならば。

 アジア諸国は日本国より社会保障が貧弱です。現地で健康保険に入れない人は、歯医者にいちどかかっただけで1万円払うことになる国もあります。年金制度も日本で加入しつづけたほうがマシな国ばかりです。*4国民年金だけでは老後に月6万円前後ですから国民年金基金もとなったら、毎月いくら除けなければならないでしょうか。それだけですめばまだしも、奨学金の返済も抱えていたら……。

 実際には除籍すれば国民年金国民健康保険は支払い義務を免除されますし、奨学金も返済の繰り延べができますが、それは「破綻」を先延ばしにしているだけです。日本国の将来に悲観するのももっともな話です。しかし、衰退するのはともかく一気に崩壊するとはちょっと考えづらいものです。海外は労働環境の快適さが何よりも代えがたい美点だという人もいて、それはその通りだと思います。経済的な懸念がなく、かつ幸運にもそうした職場で働けるのであれば*5何も言うことはありません。

 安易に東南アジアに移住してしまった若者が困窮しているとかいう研究のことを聞いた気がするのに、見つけ出せませんでした。ひきつづき探したいと思います。


日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)


うんうんとうなずきながら拝読しました。
lavandin.hateblo.jp


pluit-lapidibus.hatenablog.com

*1:1382-1436 フィレンツェ人文主義者。対話の際にいつも自分の学識の高さを誇ったため、大いに嫌われたという。

*2:西欧、北米は日本語教師ですら難しい、いわんや他の職種においてをや、という話も。

*3:営業、技術者、経理、管理者等の経験者はこの倍以上になることが多いです。

*4:アジアの公的年金制度から、開発途上国の老人人口急増問題を考える | 拓殖大学 朝日新聞グローブ (GLOBE)|結婚、アジアの選択 Marriage Pressure in East Asia -- 韓国、「家同士」の結びつき

*5:どちらの意見も聞くんですよねえ。この世の天国みたいだと喜んでいる人もいれば、経営者が人倫に悖るふるまいをしたから逃げ出した人もいます

オンラインで自宅学習

 大学受験と言えば、二十世紀末は予備校が駅前のビルを一棟丸ごと使って、その大教室に浪人生がすし詰め、といった印象がありましたが、二十一世紀になりますと、学習塾が雑居ビルのひとつの階を借りたところで現役高校生が専業講師の映像授業を受講ないし大学生の時間給講師に個別指導*1を受ける、が主流になった感がありました。そして二千十年代には、各人が自宅に配信される映像授業を視聴する形式が、有料無料を問わず隆盛しているように思われます。

 ところが、無料で配信していた団体が運営を終了することを告知していました。あんなに華々しく登場したのに。その理由について考察してらっしゃる方がいました。
genuinestudy.seesaa.net
genuinestudy.seesaa.net
真偽のほどは知りませんが、さもありなんとは思います。

 それで、日本語教育の世界でも類似の団体がありますよね。理念も似ています。*2受験産業のほうでは、自宅でのオンライン学習をしかけている勢力が有料無料とも苦戦していると見えるだけに*3日本語教育のほうで成功するのかどうか、気にならなくもないです。学校教育のほうじゃ、アクティブ・ラーニングが支配的ですけど、これとの関係もどうなんでしょうね。*4

 自宅でオンライン学習は難しかろうと思います。根拠は自分の霊感にすぎませんが。何もオンラインでなくとも、昔から通信教育というものがあります。この手の学習は、私同様ぼうっとした人間にはとかく継続が難しいものです。私のささやかな楽しみは、東京外国語大学言語モジュールと大阪大学高度外国語高教育独習コンテンツで外国語を自習することです。けれども。これがなかなか。だらだら続けて三周した言語もあります。それでもやはり初級が完了した気にはなれません。学習塾と予備校のいいところとして、たとえ無理やりであっても規則的に授業を受けなければならない点が挙げられます。しかも確認テストのようなものをさせられて、習得度が測りやすい。

 対面か映像越しかの違いはあれど、教室に通って学習する形態はこれからもまだ必要とされるはずです。


*1:と言いつつ実態は講師一に対し生徒二、もしくは一対三

*2:草創期に講師として出演されていた方が現在は大学を卒業しているらしき点も。関係ないですが、その方は大手広告代理店にお勤めである様子で、なんと申しますか、いかにも、な。

*3:上のウェッブログの方は講師の質が低いとの非難に抗議しておられますが、既存の大手予備校との質の差は否みがたいと思います。これは有料の側も同様で、いわゆる三大予備校のトップ講師が移籍していないことは象徴的に思えます。

*4:直接の関係はないものの、こんなニュースはありました。 スタディサプリ×埼玉県教委、教員向けアクティブラーニング教材開発 | ニュースまとめ「ニュービー」

外国人技能実習生を受け入れる企業の問題点

問題を起こす企業は、過疎地の零細企業である。法違反を摘発し勧告を求めれば企業はほとんどが倒産する。*1

倒産した事業主は新たな受け入れ先を探す必要があると、厚生労働省は明記しています。*2けれども、そう簡単に次の受け入れ先が見つかっていないらしきことは、上の報告書からうかがえます。


上のレポートも本書も旧制度下の話です。

「研修生」という名の奴隷労働―外国人労働者問題とこれからの日本

「研修生」という名の奴隷労働―外国人労働者問題とこれからの日本

「意識を変えるのに効果があるから○○を導入しましょう!」その2

その1はこちら。
pluit-lapidibus.hatenablog.com





経済学的思考vs意識改革。私自身は、何か目的があるなら、わざわざ迂遠な道をとるより最短距離で達成したいと思います。

最近ですと、ベトナムの小学校で日本語が第1外国語になるという報道がありました。*1たかだか週に数時間で外国語が身につくとは到底思えません(ライトバウンほか『言語はどのように学ばれるか』(岩波書店)に、そのような学習法では習得が難しいとあったような)。ところが、外国語を教える職業の人には、これをきっかけにベトナムの生徒が日本に興味を持ってくれるかもしれないからいいじゃないか、とおっしゃるかたもいます。日本における英語学習が英語嫌いを増やしているかもしれないのと同じことを危惧されるかたもいます。賛否を問わず象徴的な意味合いの強い決定だとみなしているわけです。意識改革なら、それこそ『ドラえもん』を無料配布したほうが効果的であろうとおっしゃるかたもいます。

いま要旨を記した議論の流れが、こちらにまとめられています。
d.hatena.ne.jp


ポケットに外国語を (ちくま文庫)

ポケットに外国語を (ちくま文庫)

9月に読んだ本

東京YMCA日本語学校・編『入門日本語教授法』(創拓社)

入門 日本語教授法

入門 日本語教授法

初級文法の分析、留意点と導入の仕方や練習法からなります。斜めに読んだだけなのですが、もう歴史的使命を終えた本じゃないかという気がしないでもないです。初級文法についても導入の絵についても、いまではこれより充実した内容の類書なりウェブ・サイトなりがありますから。


土岐雄三『わが山本周五郎』(文春文庫)

わが山本周五郎 (文春文庫)

わが山本周五郎 (文春文庫)

著者はいまとなっては「埋もれた」作家です。本書をみつけるまで存じませんでした。山本周五郎が売れっ子作家になる前に親しくしていた人たちから見た山本周五郎。山周がまわりの編集者や作家、妻を犠牲にして自分の小説道を邁進していく独善ぶりを描いています。著者は専業作家にならず、銀行員をつづけながらでした。このため、「ふつうで何が悪い」という視点を失わずにすんだようです。もっとも、残業後に帰宅してヒロポンを打ちながらコントを書く人は「ふつう」とは言いがたいかもしれません。


アルステア・マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』(ハヤカワ文庫NV)

貧乏性ゆえに大衆小説をあまり読みません。『ガダラの豚』は読みおえるまで一週間もちませんけど、『ニコマコス倫理学』なら二週間以上かかりますから。私の知らない世界でたいへん評価の高い小説と聞いて、読んでみました。もっと若いうちに読んでおけば、それだけいっそう印象に残ったことでしょう。魔法瓶に珈琲を詰めるか分厚いマグにココアを入れるかして再読したいと思います。


林巧『チャイナタウン発楽園行き:イースト・ミーツ・ウエスト物語』(講談社文庫)

子供のころに雑誌の購読にあこがれておりまして、なにか手ごろな雑誌はないものかと思っていたところへ、<<怪(KWAI)>>があるじゃないかと。結局毎号読むにはいたらずに中途でやめてしましたが、その連載に「老林亜洲妖怪譚」がありました。この作者を思い出したきっかけは、管啓次郎の『ホノルル、ブラジル:熱帯作文集』(インスクリプト)です。そのなかで管啓次郎が紹介するしかたがよかった。それが本書の解説だったのです。『世界の涯の弓』という題名の小説がおもしろくないわけないのと同様に、チャイナタウンから広がる世界は楽しいに決まっています。本書はこっちの果てからあっちの果てまで行ったり来たりする紀行文。若いころは行ったことのない、これから行く予定もない土地の文章なんて読んでどうするんだと思っていました。今の私はド・セルヴィ主義者なので、そんな些末なことは気にしません。だいたい、釜石の橋上市場神戸元町高架下に行く交通手段は「読むこと」くらいしかありません。


ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』(NTT出版)

資本主義が嫌いな人のための経済学

資本主義が嫌いな人のための経済学

若かりしころの私は、社会正義の問題など簡単だと考えていた。世界には二種類の人間が――根っからの利己的な人間と、もっと寛大で思いやりのある人間がいるように思われた。世界に不正や苦難があるのは、利己的なやつが自分の利害にかなうよう仕組んだせいなのだ。したがって、この問題の解説法は、もっと思いやりを持つように人々を説得することだ。(346頁)

 私も若いときはそう思っていました。さすがに今は承知しています。たいていのことはすっきりはっきりしていません。そして、勉強すればするほど、ますますわからなくなります。社会科学にうといまま馬齢を重ねることに対して、なんとはなしに恥ずかしさを覚えるようになって、いまさら勉強しはじめました。ほんとうにお恥ずかしいことですが、まあ、すぎてしまったことはしょうがないので、これから精々がんばりたいと思います。

 右派と左派の主張によくある経済学上の迷信がなぜ誤りかを解説してあるわけですが、代表的なものをいくつかここでご紹介します。①まず、減税は経済を刺激しません。「学校や医療への支出が減って、車や家への支出が増えるだけのことだ。」(104頁)②つぎに、国際貿易に勝ち負けはなく、国家間の国際競争力はどうでもいい(これについては、リカードの比較優位あるいは比較生産費説として高等学校の政治経済で学習したような気もします)。③そして、移民は先住者から仕事を奪わない(労働塊の誤謬)。「移民は労働力の供給を増やす一方で、セーの法則で同時に財の需要も増大する(移民の労働力の供給が財の需要を構成するから)。企業はこの需要増に応じるために生産を拡大しなければならず、もっと多くの労働力が必要になる。だから一国の失業率は、その国の人口とは関係ない」(249頁)。*1④それから、ケインズの主張では、「需要はおそらく大不況のどん底で、金利が可能なかぎり下げたときでなければ、刺激する必要はない」。金融緩和だけではどうにも成果が上がらないときにようやく財政出動公共事業をしなさい、ということですかね。となると、今の日本経済もクルーグマンの言うとおり……。⑤あと、企業に課税を強化しても消費者は得しない。どのみち製品やサービスを増税された分だけ値上げしますから。

 「第10章 同一賃金」も考えさせられましたが、*2「第11章 富の共有」も、今夏に相対的貧困をめぐる騒動があったために、つよく印象に残りました。「遅延割引」(本書では「割引関数」)や「双曲割引」と呼ばれる概念を用いて、貧困家庭は資金管理能力を欠くので現金給付は効果が薄いことを説明する章です。ディケンズの小説に出てくる昔ながらの「貧窮」と異なり、豊かな社会では「難治性貧困」が課題になります。

 ある夫婦は洗濯機が壊れたせいで洗濯に月200ドル、ガス代の滞納分400ドルが払えないために外食代を月に200ドル払っています。さらに、オジー・オズボーンのライヴに161ドル、映画のレンタルに月額50ドル、クラフト・フーヅのマカロニ&チーズに100ドル等々。夫曰く、「利口だったら、もっといい暮らしができただろう。…でもね、ただ、家でじっとしてることができなくて、オッケー、この金で夕食に行こうよと言う。それでおしまい。ポケットに一0ドルあって、家にいるのにうんざりしてたら、外に出てアイスクリームと夕食に一0ドル使ってしまうんだ。」(293頁)

 なんとも現実感に満ちた例でして、私のまわりにもこういう人はいます。あるいは程度の差こそあれ、私自身がそうです。*3で、いささか思慮の乏しい人なんて「自己責任」なんだから放っておけ、となって放っておいたら死んでしまう子供がおおぜいでてきて、子供に罪はないだろ、の声が大きくなる。だからと言って、現金を支給しても、このようにたちまち使い果たすことでしょう。そこで、貧困者はもっと情報が必要だ、きちんと教育を受ければ正しい選択をとれるはず。

 けれども、そうは問屋が卸さない。「自分から進んで何も学ぼうとしない人を教育することはできない。情報を与えることはできても、それに注意を払わせることはできない。極度の双曲割引が困るのは、長い目で見た便益を達成するために目先の不利に耐えようとしないことだ。教育を身につけることは、まさしくこうした人たちが受け入れようとしない侵害の典型例である。」(303頁)

 英語が身につかないと嘆く人は思い当たる点がないでしょうか。じゃあ、どうするか。メヒコのオポルチュニダデス計画に代表される施策は、アリとキリギリスの寓話を千回読み聞かせるかわりに、福祉給付に条件を付けます。生活保護手当をもらうためには、子供をきちんと学校に通わせ、ワクチンを接種させ、定期健康診断を受けさせなければならないようにするのです。無駄遣いをなくすために現金給付から配給切符にすると、「スティグマ」が強まる懸念がありますけど、これならその心配はなさそうです。支給条件の設定はなかなか厄介な気もしますが。

 訳者のあとがきによると、本書は2009年にカナダで出版されました。翌年に米国版が刊行され、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏、それに、フランス語、スペイン語、韓国語、中国語の翻訳版も出ているそうです。そして、2012年に日本語版、それから、イタリア語、クロアチア語版も待機中(2012年1月時点で)とか。ライトバウンほか『言語はどのように学ばれるか』(岩波書店)もたしか日本語版より中国語、韓国語、ブルガリア語版のほうが先に出版されていました。経済大国のみならず翻訳大国の名称も譲り渡した感があります。

*1:こちらにも似たようなことを書きました。 pluit-lapidibus.hatenablog.com

*2:pluit-lapidibus.hatenablog.com

*3:岸政彦の『街の人生』(勁草書房)で語る野宿者と、トム・ギルの『毎日あほうだんす』(キョートット出版)に登場する日雇い労働者は対照的な性格ですが、貯蓄の苦手な点は共通しています。

街の人生

街の人生

毎日あほうだんす―寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界

毎日あほうだんす―寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界

日本語教師の待遇はよくならない

続きも書きました。
pluit-lapidibus.hatenablog.com

日本語教師の給料は低い」「日本語教師は食べていけない」「日本語教師は職業ではない。生き方だ」といった言説*1に関して、ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』(NTT出版)*2の「第10章 同一賃金」から連想したことを書きます。とはいえ、私は経済学についてずぶの素人です。自分の頭で考えることが害悪にしかならないおそれはじゅうぶんにあります。できればお詳しいかたにご教示願いたいものです。自分でもさらに勉強して修正を期します。

 なお、ここで取り上げる日本語教師は日本国内の日本語学校で働く専任・非常勤講師に限定します。


1.供給過剰

特定の職業では生計を立てられないという単なる事実は、それしか給料がもらえないのは不公平だということを意味しない。「社会」がその職業に就くよう要求していない、ということではないだろうか。あまりに多くの人がもうしている仕事だから。(上掲書266頁)

 webjapanese.comの見立てでは、日本語教師の需給バランスは2003年に崩れて、供給過多になっています。*3日本語学校で日本語を教えようと思ったら、
1)大学・大学院で日本語教育を専攻している
2)日本語教育能力検定試験に合格している
3)420時間の日本語教師養成講座を修了している
のどれかを要求されるのが常です。
日本語教育能力検定試験には毎年1000人以上が合格しています。高等教育機関と養成講座からは毎年8600人程度の有資格者が生まれています。それに対して、採用者は毎年500人前後と推定されています。*4

ね、上に引用したとおりでしょ。


2.日本語教師はサービスの価値に比べて給料をもらいすぎている

 日本語学校が開講する養成講座に通うと国公立大学の1年間の学費と同じくらいの費用が必要なのに、そりゃないよと言いたくなる人がいるかもわかりません。ですが、人によっては高いと感じられる学費にも、高い理由があります。

国全体がより豊かになると、サービスが製品と比べて高価になるのは先進経済の一般的特徴である。基本となる理由は、生産性の成長でサービス部門は製造部門に遅れをとっていることだ。(上掲書268頁)

 ヒースの出した例にしたがいますと、まず、ガスレンジを生産する技術が過去数十年間どれほど(爆発的に)向上したかを想像してみてください。つぎに、各家庭を巡回してガスレンジを修理する人の生み出す価値を。過去数十年間で修理技術はたいして変わっていませんから、生み出す価値もさほど増大していないはずです。製造者と修理人の賃金差を放置しておくと、修理人は雪崩をうって製造者へ転職してしまいます。修理工の人員を確保するために、賃金を引き上げざるをえません。その結果、修理サービスの単価が上昇します。

 このようなしだいで、日本語教師養成講座だけでなく日本語学校も、開発途上国と比べて学費が高くなるわけです。日本と開発途上国とで生産性に差があるゆえに。そして、日本語教師が安い賃金で働いているときでも、提供しているサービスの価値と比べればもらいすぎなのです。

生み出す価値に給料を払うならば、メイドを雇う費用は十九世紀からあまり変わっていないはずだ。しかしメイドに払う賃金が十九世紀のままでは、誰もメイドをしようとはしなくなる。そこで、この仕事を選んでやる人材が確保されるまで、賃金が上昇した。だが、賃金が上昇すると、自分で掃除するのではなく、他人を雇ってさせるメリットは低下した。(270・271頁)

 日本語教師の基本的な生産性もおそらく十九世紀からあまり上昇していません。「労働全般の生産性が高まるにつれ、提示すべき給与額も上がり、やがてわざわざ使用人を雇うまでもなくなるのだ。」(上掲書271頁)英会話学校に通わなくても英語ができるようになる人は多いです。英語を安く習得する手段も充実しています。日本語の場合も、富裕層でない留学生が日本国の日本語学校へ通えるのは、この過酷な労働条件あればこそ、ということになります。日本語教師が市場から締め出されるのを逃れる道は、交響楽団のように、贅沢な消費の対象になることです。それで、日本語教師も付加価値をつけろと言われるのですが……。*5


3.そもそも付加価値をつけても利益が増える仕組みになっていない。

 図書館司書の労働環境は悲惨なことになっています。かなり専門性の高い仕事ではありますが、賃金は生み出すものの価値に左右されません。上で見たように、この百年間生産性がほとんど増えていませんので、もし生産性によって賃金が決まったら、図書館司書はもっと困窮していたでしょう。よくよく考えてみれば、図書館のほとんどすべては営利目的じゃありません。ですから、個々の司書がいくら自分の付加価値を高めたところで、図書館の売り上げは増えません。何も売っていないんですから。

 保育園と介護施設も同じです。福祉施設ゆえに収入額に上限があるので、利益を増やそうとしたら、人件費を下げるしかないようです。*6となりますと、保育士、介護士が自分の付加価値を増しても賃金はあがりません。

 日本語学校もおそらく似たような状況です。日本語学校の主たる収入源は留学生の学費だと思われます。その学費は2年コースで百数十万円と相場が決まっています。売り上げを伸ばすには、客数を増やすか客単価を上げるかですが、学生は一クラスに二十人までと規定されていますから、*7教師ひとり当たりの客数に限界があります。じゃあ、客単価を上げるかってんで、学費を300万円にしても、上で述べたように、留学生がその学校へ来なくなるのが落ちです。

 日本語教師も高度な専門性を求められるのになぜ、に対する答えもすでに書きました。そして、付加価値を高めても、効果は薄いでしょう。まったくない、とは言えません。職場を変えることで時給が数百円あがることもあるでしょう。けれども、年収三百万円から千万円超に増えることはありません。勤務先がいわゆる「ブラック企業」に該当する人は、労働法を遵守させることで処遇をいくらか改善することはできます。

労働法入門 (岩波新書)

労働法入門 (岩波新書)


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*1:二十世紀末から言われているそうです。 丸山敬介「『日本語教師は食べていけない』言説 : その起こりと定着」<<同志社女子大学大学院文学研究科紀要>>第15号、2015年 https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=893&item_no=1&page_id=13&block_id=21dwcla.repo.nii.ac.jp

*2:

資本主義が嫌いな人のための経済学

資本主義が嫌いな人のための経済学

*3:webjapanese.com

*4:webjapanese.com

*5:researchmap.jp

*6:www.komazaki.net kaigo-ranking.com

*7:法務省入庫機管理局「日本語教育機関の告示基準」、平成28年7月22日策定(pdf) http://www.moj.go.jp/content/001199295.pdf

法律上・契約上の根拠がないのに「説明責任を果たせ」と言うような暴論

 この「説明責任」という用語は、マスコミ関係者に限らず日本で広く濫用されているものですが、これは、日本人の「ルール感覚欠如」を端的に示す典型例のひとつです。
 日本将棋連名の理事会に「そうした責任がある」(説明する義務がある)という根拠は、いったいどこにあるのでしょうか。あらゆる人には、憲法によって「自由」が保障されているのですから、あることを「する責任」や「しない責任」を負うのは、「法令で義務とされている」か、「契約(任意で加入した団体のルール等も含む)で義務とされている」場合のみです。
 そうした根拠がないのに、安易に「説明責任がある」などと主張するのは、明らかに憲法が保障する「自由」を侵害しようとしていますが、憲法ルールを無視した「説明責任」の濫用は、日本のマスコミに共通する問題です。
 これまで私が議論したジャーナリストの多くは、「説明責任」の根拠についての説明に困ると、苦し紛れに「法律上・契約上の根拠はなくても、道義的責任がある」と主張するのが常でした。しかし、憲法にはいかなる「共通の道義」も規定されてはいません。それは、思想・信条・良心・価値観・倫理観などに属するものであって、憲法は「自由だ」と規定しています。「道義的責任がある」などと主張する人は、要するに「私の倫理観に反している」と言っているだけなのです。*1

というわけでして、「説明責任」でニュース検索してますと、❝説明責任を果たせ❞ ですとか、❝【名詞】に説明責任がある❞ ですとかが表示されます*2が、本当にそうなのかどうか、ちょっと考えてみてもよさそうです。同じような言い回しで、俗に言う「主語が大きい」事例に含まれるものに、❝国民が納得しない❞ もありますね。それは世論調査した結果を受けてのご発言なのでしょうか、っと。法的に問題ない事柄についてそもそも国民=世間=私に説明する義務など生じないのに説明責任を果たせと言われるわ、したらしたで説明が二転三転しただのと判定されるわ、しかも、もとはと言えば敵愾心や差別意識から引き起こされたのに、そこには目をつぶる人たちから危機対応能力が低いと評価されるわ、逆の立場だったらあいつらはもっとひどく非難していたはずだとわざわざ仮定した条件のもとでくさされるわで、まあ、たいへんですね、とは。諺に「理屈と膏薬はどこへでもつく」とあるように、人間が論理的と思っているものが、まず嫌いという感情があって、そこに理由づけをしただけだけにすぎないこともしばしばあります。その感情を納得させるための理屈を探し求める旅に出ることも。実体としての世間さまは今どういった雰囲気なんでしょうかね。ご存知のとおり、仮想空間では声の大きな人が実際以上によく目立ちますから、そこからだけで時勢を感じとったり、社会の風潮を読みとったりする愚は慎みたいものです。


世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」 (ちくま新書)

世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」 (ちくま新書)



pluit-lapidibus.hatenablog.com

*1:【メディア評価】岡本薫氏 第3話「根拠なき"説明責任"の濫用」 www.genron-npo.net

*2:“説明責任が求められる”などといった、一風変わった表現も見受けられます。