10月に読んだ本
フェデリコ・ガルシーア・ロルカ『血の婚礼』(未來社)
- 作者: F.ガルシア・ロルカ,山田肇,天野二郎
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 1954/03
- メディア: 単行本
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文学はある時代の意識や規範の保存装置でもあるわけで、他国の人間が想像するスペイン人を絵に描いたような類型化がされている点ではおもしろかったと言えます。翻訳者が解説で嘆いているのは、日本国に「民衆のための劇」は数あれど「民衆の劇」が根づかないのはどうしてだろうねえ、ということです。そりゃ、「演劇」は西洋から輸入されたもんだからだろう、と言いたくなりますけれど、輸入されてのちに定着したものもたくさんありますね。当時の大学進学率を見れば、知識人と一般大衆の差は今よりずっと大きかったのは一目瞭然ですが、こうしてあらためて文章として読むと新鮮でした。
フェデリコ・ガルシーア・ロルカ『ベルナルダ・アルバの家』(未來社)
- 作者: F.ガルシア・ロルカ,山田肇
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 1956/03
- メディア: 単行本
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オンラインで自宅学習
大学受験と言えば、二十世紀末は予備校が駅前のビルを一棟丸ごと使って、その大教室に浪人生がすし詰め、といった印象がありましたが、二十一世紀になりますと、学習塾が雑居ビルのひとつの階を借りたところで現役高校生が専業講師の映像授業を受講ないし大学生の時間給講師に個別指導*1を受ける、が主流になった感がありました。そして二千十年代には、各人が自宅に配信される映像授業を視聴する形式が、有料無料を問わず隆盛しているように思われます。
ところが、無料で配信していた団体が運営を終了することを告知していました。あんなに華々しく登場したのに。その理由について考察してらっしゃる方がいました。
genuinestudy.seesaa.net
genuinestudy.seesaa.net
真偽のほどは知りませんが、さもありなんとは思います。
それで、日本語教育の世界でも類似の団体がありますよね。理念も似ています。*2受験産業のほうでは、自宅でのオンライン学習をしかけている勢力が有料無料とも苦戦していると見えるだけに*3、日本語教育のほうで成功するのかどうか、気にならなくもないです。学校教育のほうじゃ、アクティブ・ラーニングが支配的ですけど、これとの関係もどうなんでしょうね。*4
自宅でオンライン学習は難しかろうと思います。根拠は自分の霊感にすぎませんが。何もオンラインでなくとも、昔から通信教育というものがあります。この手の学習は、私同様ぼうっとした人間にはとかく継続が難しいものです。私のささやかな楽しみは、東京外国語大学言語モジュールと大阪大学高度外国語高教育独習コンテンツで外国語を自習することです。けれども。これがなかなか。だらだら続けて三周した言語もあります。それでもやはり初級が完了した気にはなれません。学習塾と予備校のいいところとして、たとえ無理やりであっても規則的に授業を受けなければならない点が挙げられます。しかも確認テストのようなものをさせられて、習得度が測りやすい。
対面か映像越しかの違いはあれど、教室に通って学習する形態はこれからもまだ必要とされるはずです。
- 作者: 黒田龍之助
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2012/10/01
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*1:と言いつつ実態は講師一に対し生徒二、もしくは一対三
*2:草創期に講師として出演されていた方が現在は大学を卒業しているらしき点も。関係ないですが、その方は大手広告代理店にお勤めである様子で、なんと申しますか、いかにも、な。
*3:上のウェッブログの方は講師の質が低いとの非難に抗議しておられますが、既存の大手予備校との質の差は否みがたいと思います。これは有料の側も同様で、いわゆる三大予備校のトップ講師が移籍していないことは象徴的に思えます。
*4:直接の関係はないものの、こんなニュースはありました。 スタディサプリ×埼玉県教委、教員向けアクティブラーニング教材開発 | ニュースまとめ「ニュービー」
外国人技能実習生を受け入れる企業の問題点
問題を起こす企業は、過疎地の零細企業である。法違反を摘発し勧告を求めれば企業はほとんどが倒産する。*1
倒産した事業主は新たな受け入れ先を探す必要があると、厚生労働省は明記しています。*2けれども、そう簡単に次の受け入れ先が見つかっていないらしきことは、上の報告書からうかがえます。
上のレポートも本書も旧制度下の話です。
「研修生」という名の奴隷労働―外国人労働者問題とこれからの日本
- 作者: 「外国人労働者問題とこれからの日本」編集委員会
- 出版社/メーカー: 花伝社
- 発売日: 2009/02
- メディア: 単行本
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「意識を変えるのに効果があるから○○を導入しましょう!」その2
その1はこちら。
pluit-lapidibus.hatenablog.com
ちなみに昨晩の懇親会で一番嬉しかったのは、宴会の最後に「せっかくの命を頂く食事、食べ残しはもったいないから、最後にみんなで一気に食べましょう」と声を上げたら、みんなが賛同してくださって残っていた食事がほぼ全てみんなのお腹に入ったこと。命に感謝し、食品ロスを減らす。大事なことです。
— 打越綾子 (@ayakouchikoshi) September 25, 2016
うーん、動物殺含め消費された食品の量は胃袋に入れようがゴミ箱に入れようが同じであり、食品ロスを減らしたいなら最初の発注量を少なめに設定すべきで、すでに満腹に近い人の胃袋に残った食品を押し込むことは違う気がする。。。https://t.co/6jcqZyjjQ2
— シータ (@Perfect_Insider) September 26, 2016
@Perfect_Insider そうですね。客観的にはその通り。でも、社会を動かしていくためには一歩ずつ人の意識を変えていく必要があり、その気づきを伝えていけたら良いなと思ってます。
— 打越綾子 (@ayakouchikoshi) September 26, 2016
残った食事は各自持ち帰って翌日食べるんだったら、総消費食糧の軽減に貢献していると思うが。。。
— シータ (@Perfect_Insider) September 26, 2016
経済学的思考vs意識改革。私自身は、何か目的があるなら、わざわざ迂遠な道をとるより最短距離で達成したいと思います。
最近ですと、ベトナムの小学校で日本語が第1外国語になるという報道がありました。*1たかだか週に数時間で外国語が身につくとは到底思えません(ライトバウンほか『言語はどのように学ばれるか』(岩波書店)に、そのような学習法では習得が難しいとあったような)。ところが、外国語を教える職業の人には、これをきっかけにベトナムの生徒が日本に興味を持ってくれるかもしれないからいいじゃないか、とおっしゃるかたもいます。日本における英語学習が英語嫌いを増やしているかもしれないのと同じことを危惧されるかたもいます。賛否を問わず象徴的な意味合いの強い決定だとみなしているわけです。意識改革なら、それこそ『ドラえもん』を無料配布したほうが効果的であろうとおっしゃるかたもいます。
いま要旨を記した議論の流れが、こちらにまとめられています。
d.hatena.ne.jp
- 作者: 黒田龍之助
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/11/06
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9月に読んだ本
東京YMCA日本語学校・編『入門日本語教授法』(創拓社)
- 作者: 東京YMCA日本語学校
- 出版社/メーカー: 創拓社
- 発売日: 1992/01
- メディア: 単行本
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土岐雄三『わが山本周五郎』(文春文庫)
- 作者: 土岐雄三
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1986/10
- メディア: 文庫
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アルステア・マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』(ハヤカワ文庫NV)
- 作者: アリステア・マクリーン,村上博基
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1972/01
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林巧『チャイナタウン発楽園行き:イースト・ミーツ・ウエスト物語』(講談社文庫)
チャイナタウン発楽園行き―イースト・ミーツ・ウエスト物語 (講談社文庫)
- 作者: 林巧
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2000/10
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ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』(NTT出版)
- 作者: ジョセフ・ヒース,栗原百代
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2012/02/09
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若かりしころの私は、社会正義の問題など簡単だと考えていた。世界には二種類の人間が――根っからの利己的な人間と、もっと寛大で思いやりのある人間がいるように思われた。世界に不正や苦難があるのは、利己的なやつが自分の利害にかなうよう仕組んだせいなのだ。したがって、この問題の解説法は、もっと思いやりを持つように人々を説得することだ。(346頁)
私も若いときはそう思っていました。さすがに今は承知しています。たいていのことはすっきりはっきりしていません。そして、勉強すればするほど、ますますわからなくなります。社会科学にうといまま馬齢を重ねることに対して、なんとはなしに恥ずかしさを覚えるようになって、いまさら勉強しはじめました。ほんとうにお恥ずかしいことですが、まあ、すぎてしまったことはしょうがないので、これから精々がんばりたいと思います。
右派と左派の主張によくある経済学上の迷信がなぜ誤りかを解説してあるわけですが、代表的なものをいくつかここでご紹介します。①まず、減税は経済を刺激しません。「学校や医療への支出が減って、車や家への支出が増えるだけのことだ。」(104頁)②つぎに、国際貿易に勝ち負けはなく、国家間の国際競争力はどうでもいい(これについては、リカードの比較優位あるいは比較生産費説として高等学校の政治経済で学習したような気もします)。③そして、移民は先住者から仕事を奪わない(労働塊の誤謬)。「移民は労働力の供給を増やす一方で、セーの法則で同時に財の需要も増大する(移民の労働力の供給が財の需要を構成するから)。企業はこの需要増に応じるために生産を拡大しなければならず、もっと多くの労働力が必要になる。だから一国の失業率は、その国の人口とは関係ない」(249頁)。*1④それから、ケインズの主張では、「需要はおそらく大不況のどん底で、金利が可能なかぎり下げたときでなければ、刺激する必要はない」。金融緩和だけではどうにも成果が上がらないときにようやく財政出動≒公共事業をしなさい、ということですかね。となると、今の日本経済もクルーグマンの言うとおり……。⑤あと、企業に課税を強化しても消費者は得しない。どのみち製品やサービスを増税された分だけ値上げしますから。
「第10章 同一賃金」も考えさせられましたが、*2「第11章 富の共有」も、今夏に相対的貧困をめぐる騒動があったために、つよく印象に残りました。「遅延割引」(本書では「割引関数」)や「双曲割引」と呼ばれる概念を用いて、貧困家庭は資金管理能力を欠くので現金給付は効果が薄いことを説明する章です。ディケンズの小説に出てくる昔ながらの「貧窮」と異なり、豊かな社会では「難治性貧困」が課題になります。
ある夫婦は洗濯機が壊れたせいで洗濯に月200ドル、ガス代の滞納分400ドルが払えないために外食代を月に200ドル払っています。さらに、オジー・オズボーンのライヴに161ドル、映画のレンタルに月額50ドル、クラフト・フーヅのマカロニ&チーズに100ドル等々。夫曰く、「利口だったら、もっといい暮らしができただろう。…でもね、ただ、家でじっとしてることができなくて、オッケー、この金で夕食に行こうよと言う。それでおしまい。ポケットに一0ドルあって、家にいるのにうんざりしてたら、外に出てアイスクリームと夕食に一0ドル使ってしまうんだ。」(293頁)
なんとも現実感に満ちた例でして、私のまわりにもこういう人はいます。あるいは程度の差こそあれ、私自身がそうです。*3で、いささか思慮の乏しい人なんて「自己責任」なんだから放っておけ、となって放っておいたら死んでしまう子供がおおぜいでてきて、子供に罪はないだろ、の声が大きくなる。だからと言って、現金を支給しても、このようにたちまち使い果たすことでしょう。そこで、貧困者はもっと情報が必要だ、きちんと教育を受ければ正しい選択をとれるはず。
けれども、そうは問屋が卸さない。「自分から進んで何も学ぼうとしない人を教育することはできない。情報を与えることはできても、それに注意を払わせることはできない。極度の双曲割引が困るのは、長い目で見た便益を達成するために目先の不利に耐えようとしないことだ。教育を身につけることは、まさしくこうした人たちが受け入れようとしない侵害の典型例である。」(303頁)
英語が身につかないと嘆く人は思い当たる点がないでしょうか。じゃあ、どうするか。メヒコのオポルチュニダデス計画に代表される施策は、アリとキリギリスの寓話を千回読み聞かせるかわりに、福祉給付に条件を付けます。生活保護手当をもらうためには、子供をきちんと学校に通わせ、ワクチンを接種させ、定期健康診断を受けさせなければならないようにするのです。無駄遣いをなくすために現金給付から配給切符にすると、「スティグマ」が強まる懸念がありますけど、これならその心配はなさそうです。支給条件の設定はなかなか厄介な気もしますが。
訳者のあとがきによると、本書は2009年にカナダで出版されました。翌年に米国版が刊行され、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏、それに、フランス語、スペイン語、韓国語、中国語の翻訳版も出ているそうです。そして、2012年に日本語版、それから、イタリア語、クロアチア語版も待機中(2012年1月時点で)とか。ライトバウンほか『言語はどのように学ばれるか』(岩波書店)もたしか日本語版より中国語、韓国語、ブルガリア語版のほうが先に出版されていました。経済大国のみならず翻訳大国の名称も譲り渡した感があります。
*1:こちらにも似たようなことを書きました。 pluit-lapidibus.hatenablog.com
*2:pluit-lapidibus.hatenablog.com
*3:岸政彦の『街の人生』(勁草書房)で語る野宿者と、トム・ギルの『毎日あほうだんす』(キョートット出版)に登場する日雇い労働者は対照的な性格ですが、貯蓄の苦手な点は共通しています。
法律上・契約上の根拠がないのに「説明責任を果たせ」と言うような暴論
この「説明責任」という用語は、マスコミ関係者に限らず日本で広く濫用されているものですが、これは、日本人の「ルール感覚欠如」を端的に示す典型例のひとつです。
日本将棋連名の理事会に「そうした責任がある」(説明する義務がある)という根拠は、いったいどこにあるのでしょうか。あらゆる人には、憲法によって「自由」が保障されているのですから、あることを「する責任」や「しない責任」を負うのは、「法令で義務とされている」か、「契約(任意で加入した団体のルール等も含む)で義務とされている」場合のみです。
そうした根拠がないのに、安易に「説明責任がある」などと主張するのは、明らかに憲法が保障する「自由」を侵害しようとしていますが、憲法ルールを無視した「説明責任」の濫用は、日本のマスコミに共通する問題です。
これまで私が議論したジャーナリストの多くは、「説明責任」の根拠についての説明に困ると、苦し紛れに「法律上・契約上の根拠はなくても、道義的責任がある」と主張するのが常でした。しかし、憲法にはいかなる「共通の道義」も規定されてはいません。それは、思想・信条・良心・価値観・倫理観などに属するものであって、憲法は「自由だ」と規定しています。「道義的責任がある」などと主張する人は、要するに「私の倫理観に反している」と言っているだけなのです。*1
というわけでして、「説明責任」でニュース検索してますと、❝説明責任を果たせ❞ ですとか、❝【名詞】に説明責任がある❞ ですとかが表示されます*2が、本当にそうなのかどうか、ちょっと考えてみてもよさそうです。同じような言い回しで、俗に言う「主語が大きい」事例に含まれるものに、❝国民が納得しない❞ もありますね。それは世論調査した結果を受けてのご発言なのでしょうか、っと。法的に問題ない事柄についてそもそも国民=世間=私に説明する義務など生じないのに説明責任を果たせと言われるわ、したらしたで説明が二転三転しただのと判定されるわ、しかも、もとはと言えば敵愾心や差別意識から引き起こされたのに、そこには目をつぶる人たちから危機対応能力が低いと評価されるわ、逆の立場だったらあいつらはもっとひどく非難していたはずだとわざわざ仮定した条件のもとでくさされるわで、まあ、たいへんですね、とは。諺に「理屈と膏薬はどこへでもつく」とあるように、人間が論理的と思っているものが、まず嫌いという感情があって、そこに理由づけをしただけだけにすぎないこともしばしばあります。その感情を納得させるための理屈を探し求める旅に出ることも。実体としての世間さまは今どういった雰囲気なんでしょうかね。ご存知のとおり、仮想空間では声の大きな人が実際以上によく目立ちますから、そこからだけで時勢を感じとったり、社会の風潮を読みとったりする愚は慎みたいものです。
世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」 (ちくま新書)
- 作者: 岡本薫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/04
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pluit-lapidibus.hatenablog.com
*1:【メディア評価】岡本薫氏 第3話「根拠なき"説明責任"の濫用」 www.genron-npo.net
*2:“説明責任が求められる”などといった、一風変わった表現も見受けられます。
フラッシュモブのせいで離婚
旧聞に属する話題ですが、
この「愚痴」から、伊藤和夫『テーマ別英文読解教室』(研究社)の第7章「レストランの悲劇」に収録された英文を思い出しました。立教大学の入試問題だそうです。出典はKatharine Brushの「Birthday Party」で、<<ザ・ニューヨーカー>>の千九百四十六年三月十六日号に掲載されました。当該誌の有料会員はこちらで読めます。
米国ではよく教材にされているらしく、全文とレポート例が仮想空間にごろごろと転がっ(爆発音。以下聴取不能)
梗概を記します。三十代後半の夫婦がレストランで食事していた。食事がすむと突然、給仕頭がケーキを持ってあらわれ、バイオリン弾きが演奏をはじめる。その日は夫の誕生日だったのだ。周りの客も拍手して祝う。ところが、夫は妻に立腹し、小声で叱責して、あたりは気まずい雰囲気に包まれる。「私」がそっと窺うと、妻は鍔のひろい帽子のしたで声を押し殺して泣いていた……。
散文的な夫の無粋なふるまいを非難しているように見えます。深読みすると、終戦後の米国社会が即物的になっていることを、戦争成金の男に象徴させたのかもしれない。“The man had a round, self-satisfied face.”との描写から、伊藤和夫は容赦なく、「問題文から何を想像するかは読者の自由だが、この解説の筆者の場合、このあたりでは、バブル経済のさなか、もうかってもうかって笑いが止まらぬ株屋あたりを想像している」*1
くだらぬ私見を述べますと。越えてほしくない一線は誰しもあります。それがどこにあるかは人それぞれ。自分の一線を判断基準に、そんなことぐらいでと言ってしまうのは……。
- 作者: 伊藤和夫
- 出版社/メーカー: 研究社出版
- 発売日: 1998/07
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*1:今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、時代的背景と作品の価値とにかんがみ、そのままとしました。