ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

『落語家になるには』

 生田誠『なるにはBooks85 落語家になるには』(ぺりかん社)を読みました。少年少女に職業を案内することを目的とした叢書の1冊です。2016年4月現在、版元品切。

 著者は「あの」生田耕作の甥で、刊行時は産気新聞記者でした。生田耕作といえば、祇園の料理屋に生まれ、南座を遊び場として育ったと、中公文庫の著者略歴にありますが、弟の営む「季節料理 ちとせ」が南座の裏手にあります。残念ながら、暖簾をくぐったことはありません。

京都の季節料理 ちとせ - 東山


 本書は20年近く前に出版されました。小三治、染丸はぴんぴんしていますし、昇太は真打に昇進したばかりですし、柳昇がまだ生きています。

 ゼロ年代に何度目かの落語ブームが到来し、関西の落研から幾人も弟子入りしました。廃業した人もまだ廃業していない人もいます。弟子入りせぬまま馬齢を重ねた私には、どの噺家が面倒見がよさそうか、弟子を育てる能力が高そうか、あるいは難儀そうか、なんとなく予想がつきます。といっても、噺家本人と腹を割って話したこともないくせして抱いている偏見にすぎません。高校や大学を出たばかりで、そこらへんの見分けがつく人は少なそうです。幸い「二つ目」水準に達した人もいますが、仄聞したところでは、いちばん好きだった噺家を師匠に選ばなかったようです。その人の師匠は、いちばん好きだった噺家よりも後進を育成する熱意も適性もありそうに見えますから、納得しました。こういう「計算高い」ふるまいはあまり書籍や電網空間では勧められないでしょう。

 私は本気で弟子入りしようと考えたことがありません。自分が落語を愛していないとわかっていました。寄席にいっても、減点法でしか聞けません。噺家さんのクスグリに対して、「おっ、そうきたか」と思うばかりで、多くは口の端をゆがめる程度です(雀々の噺などはさずがに口を開けて笑ってしまいますが)。ところが、上に書いた「二つ目」は、じつによく笑うのです。そして、ひいきの噺家がおおぜいいました。私は東西合わせて10人くらいしかおもしろいと感じません。

 本書には、ある平均的な噺家の一日が描かれています。その年収をみて、夢をあきらめない若者もいるかもしれません。実際はどうなのか知る由もありませんが、私はその額にびっくりしました。

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 年末にいまさら「レオン」を薦める若者(?)が局所的に話題になりました。似たようなことは落語でも起こっています。ウェッブログをみわたせば、談志の「芝浜」やら枝雀の「鷺取り」やらを ❝いまさら❞ 紹介する若人がわんさかいます。生前の高座を聞いたことのない人がどんどん増えているわけで、こういうひとたちに"再発見"されるのはよいことだと思います(などと6000フィートの高みから意見を述べる必要は微塵もない)。自分は好きな話かを聞かれて、江戸なら先代柳朝、上方なら先代小染や先代春蝶とかなんとか答えてしまうのですが、こういう ❝サブカル❞ 的な態度はやはりみっともないです。この調子で吉朝も永遠の命を得られますように。「伊達姿誉宇留虎」と「アフリカ大探検」は表に出る日が来るのでしょうか(こういうことをわざわざ言う人は本当に恥ずかしい)。



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