ポレンタ天国

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かっこいい論文

と聞いて、私がまっさきに思い出すのは福嶋伸洋氏のものです。

イタリア学者でこれに近い文章を書く人と言えば、和田忠彦先生だと思います*1。その論文をciniiから拾ってみましょう。*2すべて学会誌に掲載された査読付き論文です。

冒頭編

詩を書くという行為が、詩人自らのあやふやな存在に外光を与え、その収劔した一点の下に自らの精神状態を峻厳に凝視することによって、時の流れを超越するものを自らの時間体系の中に認識するまで自らの世界を愛撫しつづけるものだとすれば、詩は、詩人の自己確認の場として選びとられたものであるといえる。
しかし、ボードレールをはじめとして近代以降、詩を書くという行為は絶えず悲劇性をおびてきた。つまり詩を書くことによって眼前の社会に誠実たらんとする詩人の態度が真摯であるほど、道は不毛の荒地へと続いているという事実は近代以降の詩人の背負った宿命ではなかったのか。思うに、近代の詩人の歴史とは、自己を社会に保証しようとして果せなかったものの歴史であり、近代人の破滅的徴候を誰よりも鋭敏に感じとって表現しようと志したものの歴史である。
二十世紀の初頭のイタリアに現われた<たそがれ派>"i crepuscolari"とよばれる詩人たちは、この近代の詩人の背負った痛ましい宿命を象徴している。
(「<たそがれ派>試論抄」, <<イタリア学会誌>>第24号)

一見して時代の流れに背を向けているかのように見えながら倫理性に裏うちされた感性への誠実を貫くことによってかえって本質的な時代の象徴たりうる道がある。
近代イタリア抒情詩の流れをたどってみるときそれは、<蓬髪派>あるいは<黄昏派>といった意匠を纏って立ちあらわれてくる。そして、一九三〇年代から四〇年代にかけての<エルメティズモ>もまたそうした意匠のひとつである。
(「イタリアの中のヨーロッパ:エルメティズモ論序説」, <<イタリア学会誌>>第33号)

たとえば、詩という形式が詩を肯定することへよりも否定することの方へと傾きがちだという逃れがたい危うさに気づき、その視えない呪縛から逃れるために詩から小説へと形式をまたぐ詩人は決して稀ではない。
(「詩への迂路:『ディナールの蝶』をめぐって」, <<イタリア学会誌>>第36号)


結論編

夢と言葉と光の充溢の中で生命よ蘇れ!という狂気の叫びを投げかけて、詩集『烏賊の骨』は終わっている。
いや、再びはじまるのかもしれない。
(「『烏賊の骨』再考」, <<イタリア学会誌>>第28号)

 今でこそ翻訳で知られる和田先生ですが、ごらんのとおり、もともとはイタリア現代詩の研究をなさっておいででした。『ヴェネツィア 水の夢』でも、その「詩情」をぞんぶんに楽しめます。タブッキの『夢のなかの夢』につけられた註釈もなかなかのものです。私なんぞはどう転んでもこのような華麗なレトリックを用いて文を書くことができませんから、うらやましいかぎりです。どういう修業を積めば書けるようになるのでしょうか。作家の北方謙三氏は編集者のすすめるままに文豪の作品を書写したそうですが、あれですかね、大量のインプットってやつですかね。それにしても自分はつまらぬ人間になってしまったことよ、と思います。イタリア現代詩を味わえる日が自分におとずれる気がしません。


声、意味ではなく―わたしの翻訳論

声、意味ではなく―わたしの翻訳論

*1:これを書いた後に知りましたが、福嶋先生が博士課程のとき指導教員は和田先生だったそうです。道理で。

*2:こちらからpdfで読めます。 CiNii Articles 著者 -  和田 忠彦