ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

「事実は価値判断とは独立に存在し得ない」というヤツだ


デジタル部・與那覇里子、ライター・大橋弘
「急増するネパール人 沖縄に来た理由(1)『日本は素晴らしい国』夢を追い勉学とバイトの日々」
(沖縄タイムス2016年8月6日13:23)
www.okinawatimes.co.jp

デジタル部・與那覇里子、ライター・大橋弘
「6畳に2人で暮らす留学生たち 急増するネパール人 沖縄に来た理由(2)」
(沖縄タイムス2016年8月12日12:19)
www.okinawatimes.co.jp



岩切明彦
日本語学校におけるネパール人学生の様相とその諸問題:福岡県A校に通うネパール人学生へのライフストーリーインタビューから」
(≪西南学院大学大学院国際文化研究論集≫第9号)
日本語学校におけるネパール人学生の様相とその諸問題 ―福岡県A校に通うネパール人学生へのライフストーリーインタビューから―



でもまぁ、今言ったことは初級の科学方法論であってね、実は、中級、上級の世界になると、事実と価値判断は独立に存在し得ないし、実証分析を行う際の問は、その人が持つ価値観に強く依存することが分かってくるんだよね。でも、それはあくまでも中級、上級の世界の話だから、まず君たちは、事実と価値判断を峻別し、実証分析と規範分析の違いを教科書レベルの知識としてしっかりと理解しておいてくれ。30過ぎても“経済学は価値独立な実証科学で云々”と言っているひとは、まぁ、社会科学にはあんまり向かないだろうな・・・*1


 親族が外国人技能実習生と接しまして、あの人たちはえらい! あまりにつましく暮らしていて、家庭菜園をつくるばかりか自分たちのところに野菜屑をもらいに来るほどだ、と、まあ、その話の背後に窺えるものについてはまるで見えていなさそうな調子でした。苦労しながら頑張っている人が好まれるのは昔からかわりません。ほら、「蛍雪之功」とか、二宮金次郎さんとか。「その苦労がどうして生じたか」まで行きつくのは少々複雑ですから。目的のためには手段を選ばずにわかりやすい物語を作ってでも訴えほうが効果が大きいのかもしれませんし、けれどもそんなことでは長続きしないような気もしますし、身近な人間に対しては根気強く説明することにしています。なかなかそれでうまくいったためしはありませんが。

*1:権丈善一 「事実は価値判断とは独立に存在し得ない:『人間は自分がみたいという現実しかみない』というカエサルの言葉の科学方法論的意味合い」 (勿擬学問116) http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare116.pdf http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/ ちなみに、カエサルのことばは原文で“libenter homines id quod volunt credunt.”だそうです。「人は自分の望むことを喜んで信じたがる」くらいの意味でしょうか。

カエサル戦記集 ガリア戦記

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