読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポレンタ天国

ちょいデブおやじのダイエット奮闘記です(笑)

3月に読んだ本

榎本隆司・編『はじめて学ぶ日本文学史』(ミネルヴァ書房)

中村光夫『小説入門』(新潮社[新潮文庫])

小説入門 (1959年) (新潮文庫)

小説入門 (1959年) (新潮文庫)

高校生のときの愛読書は各教科の資料集でした。

最新日本史図表

最新日本史図表

常用国語便覧

常用国語便覧

政治・経済資料 2014

政治・経済資料 2014

 日本の近代文学史を勉強しなおそうと思い立って、あらためてこうした本を読みました。中村光夫はこれまで『日本の近代小説』と『日本の現代小説』、『明治・大正・昭和』(いづれも岩波書店)を読んだことがあります。どれも少しずつ焦点が違って、それぞれ目から鱗が落ちるます。本書の場合はフランスからレアリスムと自然主義を輸入するにあたっての勘違い。res「もの」に翻弄される資本主義社会の人間や、進化論・遺伝に支配される人間を描いて、事実の背後にある真相を浮かび上がらせるはずなのに、事実=真相なのだから事実のみを書けばよいと誤解してしまった、といった話を聞かされれば、合点すること頻りです。だがしかし、はて、本当に鱗を落としてよいものか。と言いますのも、司馬遼太郎塩野七生の小説を読んで歴史がわかったつもりになってよいのかどうかと同じ問題をはらんでいるように思うのです。『はじめて学ぶ』は、その点で、あまりおもしろくありません。因果なんてそうやすやすと解明されてたまるかよ、というのが妥当な立場でありましょう。自分が語る段になると、中村の側に立つ誘惑に打ち勝つのはとても難しいのですが。


西江雅之『新「ことば」の課外授業』(白水社)

新「ことば」の課外授業

新「ことば」の課外授業

 黒田龍之助『はじめての言語学』(講談社現代新書)で推薦されていた本です。一読三嘆、専門用語を使わないで、よくここまで説明できるものです。言わずもがなですが、入門書も一冊だけ読んで満足してはいけませんね。
 著者の専門であるアフリカの言語事情が多いのはうれしいことです。たとえば、ソマリ語に共通の文字表記がなかった時代、ソマリ族の祖国統一運動があって、その集会で筆者がソマリ語話者の

ノートを覗いてみると、ある人は英語で書いていて、隣の人はスワヒリ語で書いているのです。こっちの人はアラビア語で、その隣の人はアムハラ語でといったように、異なった言語を異なった文字で書いているのです。…しかし、話しているのは全員、ソマリア語なんです。

かつて、旧イタリア領ソマリランドの人はイタリア語で手紙を書きました。その手紙が旧英領ソマリランドに届いても、受け取り手はイタリア語がわかりません。ですから、郵便局のまえに翻訳屋がいて、その手紙を英語に翻訳するか、非識字者にその場で読み上げてやるかしていたそうです。
 第7講の「第二言語とのつきあい方」を読んではじめて「四人称」の概要がわかりました。第二言語を学習するときには、「知っている単語(=実際に使いこなせる単語)」の輪を少しでも大きくして、「知っているつもりの単語(=見たらわかるけど使いこなせない単語)」の輪との差を少しでも縮めること、そして輪をなるべく大きくすることが大切です。当たり前ですが、近ごろ新しい言語を勉強していることもあって、改めてそうだよなと思いました。


野間正二『[改訂版]小説の読み方/論文の書き方』(昭和堂)

小説の読み方/論文の書き方

小説の読み方/論文の書き方

 大変ありがたい本。ナラトロジー、新歴史主義批評、フェミニズム批評、ポストコロニアル批評で、そして謎を手掛かりに小説を読む方法とその実践が載っています。実践はレポートや卒業論文修士論文で通用する水準の質と量を備えているところが出色かもしれません(東京大学出版会の『文学の方法』も各理論の実践例を集めていますけど、若くて今よりもっと阿呆だった私には難しかった……)。じっさいに書く際の目安がわかるわけです。著者は米文学者ですから、主要な分析対象は『グレート・ギャツビー』や『ライ麦畑でつかまえて』、『老人と海』などです。しかし、それに加えて、日本の文学作品、『つゆのあとさき』や『金閣寺』の論考も収録されています。学生のときに読んでおきたかった。

 ピエール・ロチの『お菊さん』を私が知ったきっかけは星新一じゃないかと思いますが、確信がありません。芥川の「舞踏会」と合わせて随筆に書いていたような気がします。

こいつ(引用者註:ゴッダード(Goddard)の『有色帝国の隆盛』(The Rise of the Colourd Empires)という架空の本。種本はストッダード(Lothrop Stodard)の『有色人種の高まり(The Rising tide of Color)』やグラント(Madison Grant)の『偉大な人種の消滅(The Passing of the Great Race)』と言われる)は、とても優れた本だよ。一読の価値ありだ。この本が言いたいのは、気をつけないと白人はそのうちに--そのうちにすっかり隅に追いやられてしまうだろうということなんだ。この説は科学的な根拠に基づき、ちゃんと証明をされている。…注意深く見張るのは支配民族である我々の責務だ。さもなければ、どこかよその民族が支配権をさらってしまう。(258頁)

 いわゆる黄禍論ですね。これが形を変えて極東に到達している感なきにしもあらず。


小峯和明・編『日本文学史』(吉川弘文館)

日本文学史

日本文学史

 マキアヴェッリの『君主論』は岩波文庫なら白ですし、政治学の本だと思う人が多そうですが、イタリアでは文学の分野でもよくとりあげられます。文学史というものがもはや成立しにくくなっています。かつてならロマン主義写実主義自然主義みたく進化論的にとらえられていた「流れ」も、じっさいには同時にそれぞれの流派が混在していたとみるできでしょう。
 それならばとジャンル別の時系列をやめてテーマ別に再編したのが本書です。順に「古典」「メディア」「戦争」「宗教」「男女・家族」「環境」。  いくつか目についた欠点をあげると、まず、近世と近代のことにほとんど触れていません。「メディア」の人はちょっと出典の扱い方が気になります。「環境」の章は東日本大震災後のあの妙な高揚感(時代の転換点云云かんぬん。大震災はほかにもあるのになぜあれだけが時代を画するかというと、やはり東京も被害があったからなのでしょうか)が色濃く出ています。
 ですが、こうした欠点を補ってあまりある魅力があります。従来の「流れ」を説明する本では零れ落ちていた作品がとりあげられているほか、ジャンル別では見えなかった、諸作品の関係が明らかにされます。言われればそうですが、元寇の軍記物は生まれませんでした。


ピーター・グゥラート『忘れ去られた王国:落日の麗江雲南滞在記』

忘れ去られた王国 〜落日の麗江・雲南滞在記

忘れ去られた王国 〜落日の麗江・雲南滞在記

 別の版元からも出ていて、ちょっとドキドキしました。
忘れられた王国―一九三〇‐四〇年代の香格里拉(シャングリラ)・麗江

忘れられた王国―一九三〇‐四〇年代の香格里拉(シャングリラ)・麗江

 読み比べていませんが、私が読んだほうはいつもの西本先生らしく、お調べになったことが細大漏らさず全部書いてあります。
 本書は著者が1939年から49年まで(日中戦争中!~第二次国共内戦麗江の手工業生産合作社を監督・指導したときの滞在記です。合作社のことを書いた章もありつつ、中心となるのは著者の見聞した雲南各地の生活です。
 「援蒋ルート」と言えば一般に、昆明に至るビルマ公路とレド公路を指しますが、カルカッタボンベイで降ろされた荷物を鉄道でカリンポンに運び、そこからキャラバンがラサを経由して打箭炉(ダルツェンド、康定)へ送るルートがあったそうです。そのためラサは泡沫景気に沸き立ち、西蔵地方政府の長も個人資産の大部分を投資したとのうわさを書き留めています。それが大日本帝国の(大陸のひとびとにしてみれば10年ほども続いていたのに)唐突な降伏によって大損害をこうむったようです。著者がいたときの麗江昆明へ物資を送る中継地点として一時の繁栄を謳歌していたのでした。
 麗江はそれ以外の時期、ずっと「忘れられた部族王国の、平和で小さな首都」でした。それが今や5A級の観光地になって、というのは、忘れられていたから原風景をとどめていられた点で白川郷みたいなものなのかもしれません。
 チベット族や母系社会で知られる摩娑人(モソ族、本書の書き方なら呂喜[リュウキ]族)の地域では住民の九割が性病にかかっている、とか郷城や東旺のチベット族はキャラバン強盗で生計を立てているとか、黒彝族(イ族、本書の書き方なら黒ロロ族)は白彝族を奴隷にしていたとか、何と言いますか、まだ近代がおとずれていなかったかのような話がでてきます。人民共和国が成立して以降はこうした問題が解決に向かったようですが。
 著者は白系ロシア人なので、各少数民族をほめる理由にアーリア的な風貌をしていることを挙げていて……。あるいはハンセン病にかかる民族は劣等だからと言わんばかりのところや、滅んでもしかたない民族とこれからも発展するだろうと思われる民族を区別する点なども。
 そうした点に限界を感じないでもないですが、訳者も指摘する通とおり、全体的にはおおむねやさしいまなざしで描いています。生活体験記としてとても興味深かかったです。


竹田茂生ほか『知的な論文・レポートのためのリサーチ入門』(くろしお出版)

リサーチ入門-知的な論文・レポートのための

リサーチ入門-知的な論文・レポートのための

 必要に迫られて社会調査をかじることにしました。すらすら読めてよかったです。難を言えば、こちらに統計の知識がなさすぎて、t検定だのカイ2乗検定だのが何がなにやらさっぱりわからなかったことくらいでしょうか。これについては別途、統計の入門書を読みたいと思います。
 社会科学の世界での社会調査と実業の世界での市場調査との間に文化の違いがあって、重視するものが、参与観察と店舗観察調査、ディプス・インタヴュとグループ・インタヴュ、のように異なるそうです。
設計法を身につければ、とりあえずアンケートとインタヴュ、のような愚を犯さずにすめそうです。しなくてもよかった調査、ってけっこうありますよね。
pluit-lapidibus.hatenablog.com