ポレンタ天国

ちょいデブおやじのダイエット奮闘記です(笑)

4月に読んだ本

亀井秀雄『明治文学史』(岩波書店)
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 3月末に読みました。大学の何かの授業で教科書に指定されていましたから、書名は知っていました。大学生協の購買部でパラパラと立ち読みして、いずれ読もうと思ったはいいが、いつしか品切れ重版未定。もしかしたらジュンク堂書店那覇店にまだ在庫があるかもしれません。
 先月読んだ小峯和明・編の『日本文学史』(吉川弘文館)と趣向は同じです。近代的文体の誕生や形成をたどるのでなく、いくつかのトピックを立ててその系譜を探る方法がとられています。「郊外の物語」を見てみましょう。ここでは国木田独歩の『武蔵野』が分析されています。『武蔵野』の語り手は村人とはほとんど没交渉ですが、読者に対しては饒舌に呼びかけています。本作はエッセイですから、それは掲載誌«国民之友»の読者との対話であり、読者との対話を通して近郊散策のライフ・スタイルを作り出そうとするテクストなわけです。『欺かざるの記』や『あひゞき』から引用するさいは自然との親和感のみを残し、強く印象づける操作を行っています。舞台となっている渋谷はもちろん未開の地ではなくなかなか開けた場所でした。そうした景観はすべて捨象されて、雑木林と田園ばかり描写されます。都市住民、「知的遊民」の視点から、景観というテクストが読み替えられたことになります。
 

奥村美菜子ほか『日本語教師のためのCEFR』(くろしお出版)
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 ちょっと出版意義がよくわからなかったので、途中で読むのをやめました。CEFRは複言語・複文化主義に根差してあると、本書にもはじめのほうで書かれています。それがなぜか後半になると、can-doシラバスの話に矮小化されていて……。ヨーロッパ言語共通参照枠の理念を日本に適応するなら、アイヌ語ポルトガル語、中国語、韓国・朝鮮語なども学習しようという話になるんじゃないかと思います。


慶應義塾大学教養研究センター・監修『データ収集・分析入門:社会を効果的に読み解く技法』(慶應義塾大学出版会)
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 統計分析の用語と用法を知りたかったのですが、本書でそれは前提とされていて、説明なしでした。残念。



鴻野豊子ほか『新人日本語教師のためのお助け便利帖』(翔泳社)
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 なにも大判にしなくてもと思いますが、この業界の新人は中高年が多いので、老眼でも読みやすい本を目指したのでしょう。私にはあまり必要ない本でした。日ごろ目次に書いてあることで悩んでいる人はどうぞ。


唐澤一友『英語のルーツ』(春風社)
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 名詞の副詞的用法(例:I go to the hospital today.のtoday)とか、所有格のアポストロフィsもあるしN1 of N2もあるしとか、ああいったことどもは文法解説書を読んでも、そういうものであるとしか書いていないことがありますが、英語史の本を読むと、由来がわかってすっきりします。三人称単数現在のsだって、フランス語やドイツ語などを勉強すれば、ああもしかして英語も昔は人称変化していたのかしらと想像しますよね。数ある類書の中から本書を選んだのは、たまたまです。装幀がしゃれていて目につきました。英語の綴字と発音の不一致はなんとかならんのかと思っていたものです。あれも歴史的な経緯があってのこと。また、インド・ヨーロッパ語族のなかで英語だけが文法を単純にしたわけでなく、デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語・オランダ語などもずいぶん活用が簡素になっているのだとか。

 「英語史」で検索したら伊藤サム氏のウェッブサイトが出てきました。おおまかなことはここにありますね。
英語の歴史


ジャン=ピエール・ジュネ監督『アメリ』
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 十数年ぶりに見ました。九十年代の首都圏は、アニエスベーの服を着て『ポン・ヌフの恋人』の公開初日に駆けつける青年がいたそうです。そういう❝フランスかぶれ❞の時代の掉尾を飾る作品かもしれませんね。これがフランスでも売れたということは、おフランスにも「非リア」の人が多いのでしょうか。


水本光美『ジェンダーから見た日本の教科書:日本女性像の昨日・今日・明日』(大学教育出版)
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 著者の問題意識に関しては同意します。もはや高齢者しか使用しない「女ことば」を教える意義は低いでしょうし、妻が専業主婦で子供が2人いる家庭を教科書に出しても日本の典型的な家庭とは言えないでしょう。
 ただ、いくつか気になるところがあります。

 メディアからも女ことばは消えてしまう時代は、もうすぐそこまで来ているのではないかと推測されるである。
 筆者がそれを見届ける日まで元気でいられることを願うばかりだ。

のように、研究論文に価値判断を差し挟まれてもねえ。
 テレビドラマや会話教材で女性の登場人物が感情的な場面になると主張度の高い女性文末詞を用いられます。
(例:A「お父さんな、会社をやめてユーチューバーになろうと思うんだ」
   B「何言ってんのよ」)
これは現実の女性会話にはまったく登場しないそうです。著者は現実との乖離を理由に使うべきでないと主張します。この「スイッチ型」の女性文末詞が出現するのは、テレビドラマの脚本や会話教材の台本が「書かれたもの」だからかもしれないと私は推測するのですが、特にこの点についての検証はありませんでした。皆様ご存じのとおり、日本語の言文一致体は必ずしも話し言葉と一致しません。「~なんだぜ」と発話する男性はごく少数でしょう。
 現実に即していないからこそ教科書のジェンダー観を批判しているのに、最終章で提案する登場人物例が希望的観測に満ちている点も残念です。妻の職業が薬剤師であるとか、子供は2人とか、女性上司の場面を入れろとか。
 現実社会に合わせるなら、小売・サーヴィス業の場面で外国人労働者を登場させることも必要かもしれません。
 このような本が不幸なのは、手に取るのはすでに問題を認識している人であって、読んだほうがいい人の視界には入らないんですよね。それでも日本社会はほんの少しずつよくなっているように感じています。


倉科岳志『イタリア・ファシズムを生きた思想家たち:クローチェと批判的継承者』(岩波書店)
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 二十世紀初頭のジョリッティ時代にイタリア経済は大発展します。いっぽうで繁栄から取り残された人たちもいて、この人たちのエスタブリッシュメント層への憎悪をうまく利用したのがファシズムでした。マルクスフロイトニーチェ以降、キリスト教は人々が拠って立つ基盤でなくなります。だから、国家を信じよと迫るファシズムと、自由を拠り所にしたクローチェと、クローチェは上の方しか見えていないとする継承者たち。この本、装幀がしゃれています。


金成隆一『ルポ トランプ王国:もう一つのアメリカを行く』(岩波書店)
 日本も米国も変わらんなあと思いました。昔だったら、高卒でも家族を養って休暇旅行に出かけられたけれど、今は大学を出て働けど働けど楽にならざる。老人たちは製造業は海外に出て行ってサーヴィス業の時代になったのについていけず、偏見を改めることのできない。政治家は既得権益者とつるんでいる(と彼らは思っている)ので、いちど何のしがらみのない人に任せて改革してもらいたいと願う。
 どうすればよかったんでしょうね。
 もう製造業の時代は終わった、みんなITへ行け、などと強制できるものでもないでしょうからね。地方都市はもうだめだ、都会へ移住しろ、と強制できるものでもないでしょう。
 青臭い意見ですが、教育の力が試されているような気もします。