ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

9月に読んだ本

黒田龍之助『その他の外国語エトセトラ』(筑摩書房[ちくま文庫])
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近年の黒田先生の書き物はいさかさとげとげしくなっているように感じられて、ああやはりフリーランスで矜持を保ったまま生きていくのは難しいのかなあ、などと失礼きわまりないことを考えておりました。これはディーセントな黒田先生が楽しめる本。英語がお嫌いですけど、教えておられただけあって、運用に自信がおありなんですね。「学歴なんて関係ないよと、東大出てから言ってみたい」みたい。


黒田龍之助『もっとにぎやかな外国語の世界』(白水社[白水Uブックス])
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皆さんも外国語を勉強しようぜ、っていう本ですかね。私は未成年のときに伊藤和夫の本を読んで、英文法のおもしろさに気がつきました。それから、その他の外国語にいくつか触れて、世界の切り取り方、と言っては大袈裟ですけど、なんだかそのようなものが言語によって違う、というのがおもしろいな、と素人なりに思います。


イ・ヘヨン『京城学校:消えた少女たち』

『京城学校:消えた少女たち』予告編
本国では興行的に失敗に終わったようですが、なかなかどうして、悪くない映画だと思いました。たんなる百合映画じゃないんですよね。重要人物が「このウンザリする●●を、自分の実力で、自分の足で抜け出したいんです!」と独白するあたりに、それはそれでもう陳腐になった考え方かもしれませんが、しかし批評性を感じられて、それを現代の私たちがここで解釈するときに、向こうの彼らはどう感じるだろうかしら、ということも気になりました。


今野雅方『考える力をつける論文教室』(筑摩書房[ちくまプリマ―新書])
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 考え方の枠組みを得られる本はとてもありがたいものです。本書もそのひとつ。

適切に読まないと、本は害悪を与えかねないからです。特に、切迫した感情にかられ、ただただ答えがほしくてやみくもに読んでいるときには、自分がほしいと思う答えだけを探し、著者の言うことをねじ曲げてまでこれが探していた答えだ、と思いこむようなことにもなりかねません。このような人は――意外に思うかもしれませんが――あんがい見かけられます。(七十三頁)

 私がこれまで読んだ冊数は日本社会で中央値をとったら、それより上になると思いますが、私自身は本を読んで人生が変わったり、本に救われたりしたことがありません。著者の言う第一の読み方、すなわち、なんとなく読んでなんとなくの読後感をためていく、をしているからだと思います。これはこれで、じつはもっとも深いところで何かを感じとっているし、だんだん世の中のことがわかるようになる、と書いてあり、実感としてよくわかります。
 第二の読み方は、迷いながら考え、それを自分のことばで確認していく作業です。私が論文を書くことを苦手にしている理由は、たぶんこれができていないせいです。いつも何となくにしか読まないから、自分の理解を説明できないのでしょう。
 文章の内容を手短にまとめること=要約ができない人はかなり多いと思われます。大学受験時の私もそうでしたし、大学院の先輩にもひとりいました。その方は定例の読書会でいつも、要約をつくることができずに全文を読み上げていました。なぜか。文章の内容を理解できていないからです。「著者のメッセージをつかむため課題文に『なぜ』を発し自分で答え要点をまとめていく」練習をしていないので、文章理解の基礎ができていなかったんでしょうね。
 本筋と関係ないのですが、課題文の以下のくだり、

 彼女は、すぐ友人のサングラスをとり上げてかけてみた。とたんに、
「ヒトの顔が見える!」と彼女は言った。「今まで、ヒト(他人)の顔を見たことがないんです。見てるような顔はしていたけれど、見ることができなかったんです。はじめて顏が見えます。わあ!」と言って彼女は大きく息をした。

共感をおぼえることこのうえなしでした。私も他人の顔が見えないので。