ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

6月に読んだ本

 中村光夫の『日本の現代小説』(岩波新書)を読み返してみると、十一谷も田畑もとりあえず触れただけといった印象を受けます。私が十一谷の「仕立て屋マリ子の半生」を読んだのは、『屋上庭園』(エディション・イレーヌ)*1ででした。その後、『十一谷義三郎五篇』(EDI叢書)*2を読んではみたものの、特にどうとも思わず、手放してしまいました。ところが、この筑摩の全集に収録された諸作品はなかなかにおもしろい。とくに「あの道この道」は、幼いころに愛読した山本周五郎『季節のない街』(新潮文庫)を思い出しました。*3田山花袋に、“昭和の泉鏡花”と評され、上林暁からは、❝20世紀のチャールズ・ディケンズ❞ たることを期待されて、また、本人も「もし、彼世の人々が、たとへちよいとでも、お吉の名といつしよに、僕の名をおもひだしてくれたら、僕は、天下一の、幸福人だと——思つてゐる」十一谷、すでに三島が自決する前には忘れ去られつつあったようです。

 「あの道この道」に、俥夫の妻が「客の落しものらしい煙草入れなどを默々と針さしの抽斗へ藏ひ込む」とあるところを見ると、「路ニ遺チタルヲ拾」ウ社会だったらしきことがうかがえます。

 田畑修一郎の「醫師高間房一氏」は、日本の村社会を描いた秀作です。文学者のなかには、故郷を捨てて東京に出てきた者が、他の職業と同じようにたくさんいます。田畑もその一人でした。いまだに「講」が残る村を知っている人はこの作品を楽しめます。

 北条民雄を読む人生を送ることができてよかった。

 中島敦芥川龍之介の再来として世に出たようでした。長じた今となっちゃ、芥川は過大評価されてきた作家だと思います。現在、客観小説をおとしめる人は少ないでしょうから、あえて持ち上げる必要もないような。


教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集

教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集

 うすうす気づいていたのですが、私は怪奇小説幻想小説が少し苦手なようです。*4とはいえ、ヴァーノン・リーは先日読んだカプリオーロなどより「本物」といった趣きがあり、「七懐剣の聖母」は心に残りました。あと、たいへん不遜ではありますが、読みやすい翻訳でした。

喜びのあまり副知事の息子をトラットリア・ラ・ステッラ・ディタリアでの五品料理のディナーに招待してしまったくらいだ。(二十八頁)

は、たぶん、ヴァーノン・リーがpranzo di cinque portateか、それに相当する英語を書いたのだと思います。英語だと通常はsix-course dinner、つまり「フルコース」ですね。つまらぬ揚げ足取りをすると、三十六頁「ラ・ペッシーマ・メデア」は「ラ・ペッシマ・メデア」、百二十三頁「ポルト・ヴェネーレ」は「ポルト・ヴェーネレ」のほうが適切でしょう。それから、作中でたびたび人名の頭についている「ソル(sor)」「ソラ(sora)」はsignor、signoraを親密な調子にした語、「セル(ser)」は敬称ですね。「~さん」「~様」などと訳すかどうかは判断が分かれそうです。


巴比倫之塔是永山(バベルのとうこれひょうざん)―“最大効果”の語学修得術

巴比倫之塔是永山(バベルのとうこれひょうざん)―“最大効果”の語学修得術

 途中で読むのをやめました。この翻訳者は一言一句ゆるがせにしない直訳を心がけておられるようで、訳文が日本語のていをなしていません。また、注釈やあとがきに本文と関係ない自己主張をまぜてくるので、そんなことは自著でやれ、と思ってしまいます。そういえば、ウンベルト・エーコ著作のなかでしばしばウケをねらうのですが、それもこの人の手にかかるとまるで笑えません。英語版やイタリア語版があればそれを読みたいです。


イタリア貴族養成講座―本物のセレブレティとは何か (集英社新書)

イタリア貴族養成講座―本物のセレブレティとは何か (集英社新書)

 おもにエステ家の資料から貴族のたしなみについてお勉強しましょうね、という本です。内容紹介に「ルネサンス文化華やかなりし中世イタリアの」とあって、のっけからなんじゃそりゃとなりますが*5、当時の食事・舞踊・歌曲のことを知れてよかったです。すぐ読み終われます。本筋と関係ない、ジェラート屋は夏だけ、トリッパ屋は冬だけ働いて、あとの半年は遊んでいる、などという瑣事もふんだんに書いてあります。

 本文中に

自転車がどれだけ市民に愛され、活用されているかは、駅前ロータリー脇の駐輪場を見ればすぐわかる。朝の通勤・通学時のそれを見れば北京を彷彿とさせる。

とあるのが気になりました。本書の発行年月日は二千八年六月二十二日です。哈斯朝魯・監督の『胡同の理髪師』は二千六年に公開されました。この映画の北京はすでに車社会になっており、自転車に乗っているのは主役のチンさん(設定では数えで93歳)くらいなものです。そういえば、ゼロ年代初頭には、自転車であふれかえる大学構内を「日本の北京」と形容することがあったように思いますが、この言い方はまだあるのでしょうか。

胡同の理髪師 [DVD]

胡同の理髪師 [DVD]


こんなテレビ番組もあったのか。
本間智恵

*1:

屋上庭園―甦る言語芸術の精華

屋上庭園―甦る言語芸術の精華

*2:

十一谷義三郎五篇 (EDI叢書 (2))

十一谷義三郎五篇 (EDI叢書 (2))

*3:幼少時に好きだった山本周五郎は「町奉行日記」、『季節のない街』、『寝ぼけ署長』です。

*4:それでもトマージ・ディ・ランペドゥーサの「セイレーン」は好きです

*5:本文に書かれている時代はルネサンスからバロックです