ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

ホラッチョ黒石

 大泉黒石という作家がいました。しばらく前に死んだ俳優さん、大泉晃の父です。『俺の自叙伝』が≪中央公論≫の瀧田樗陰に絶賛され、一躍大正文壇の寵児になりました。

父はロシアの農家の家系の出自、好学の士でペテルブルク大学での法学博士。ロシア皇族の侍従として長崎にきたとき、日本側の接待役をした母恵子を知り、恵子は周囲の反対を押し切って結婚。恵子は当時の進んだ女性で、ロシア語を解し、ロシア文学を研究していた女性であったが、黒石を生んで他界したとき、僅かに十六歳であった。祖母にひきとられた黒石は、小学校三年生まで長崎で、次いで漢口の領事をしていた父をたよっていくが、父とも間もなく死別。父方の祖母につれられ、モスクワにいき小学校に入る。またパリのリセに数年在学したが、停学。スイス、イタリアを経て長崎に戻り、長崎鎮西学院中学を卒業。ふたたびペテログラード[ママ]の学校に在学。ロシア革命の巷と化すに及んで帰国し、京都三高に入学。幼馴染の女性福原美代と結婚。三高を退学して東京にでてきたのが一九一七(大正六)年。一時、一高に在籍したが間もなく退学。石川島播磨造船所から屠殺場番頭にいたる雑業のかたわら、創設化を志す。(由良君美大泉黒石掌伝」)

とのことですが、まあ、この自伝が嘘ばっかり。幼少時、近所に住んでいた「トルストイに石を投げつけたらトルストイが猿のように真っ赤になって怒った」とか、「ロシア革命の内戦に巻きこまれ、ペトログラードの橋の上を年上の愛人コロドナの屍体をひきずって走る」とか書きつけ、「ウソツキの天才と言われて、みずからもウソと真実のけじめがつかなかったようなでたらめな生活ぶり」で、とうとう文壇から忘れ去られました。

 うそとでたらめの半生はこちらのウェッブログで紹介されています。
blog.goo.ne.jp

 世の中には、なんでまたそんな嘘をついて虚飾に満ちた人生行路を歩むのか理解に苦しむ人たちがいます。私の周りにいた人には、自分が本気を出せば気功で相手を吹っ飛ばせるやら、芸能事務所に所属してモデルとしても活動しているやら(およそそんな事務所が存立できそうにない田舎町で)吹聴する人がいました。ああいう人たちも自分で自分の嘘を信じきってしまっているのかもしれません。どなたかがおっしゃっていたことですが、とりたてて何の才もないけど世に出たい人は、でたらめな嘘をついてでも注目を浴びようとするのだろう、と。假想空間のなかでよく見られる光景です。黒石はロシア名としてアレキサンドル・ステパノヴィッチ・コクセーキを名乗っていて、これからもなにがなし、ビジネス名ショーン・マクアードル川上を想起します。

 黒石の本で現在もっとも入手しやすいのは『黄夫人の手』(河出文庫)です。また電子書籍で代表作『人間廃業』が販売されています。「ダメ人間の本棚」に飾ってください。

人間廃業 人間開業

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