ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

10月に読んだ本

フェデリコ・ガルシーア・ロルカ『血の婚礼』(未來社)

血の婚礼 (てすぴす双書 49)

血の婚礼 (てすぴす双書 49)

 一般に入手しやすいのは岩波文庫版です。あまりおもしろくなかったです。激情と官能、みたいなありふれた修辞ですませられる程度の作品としか思えませんでした。冒頭から予兆に満ち満ちているのも、古典劇じゃあるまいに、もう二十世紀だったんだぜ、と言いたくなります。じっさいに観劇したらまたちがった感想を持ったのかもわかりませんが。
 文学はある時代の意識や規範の保存装置でもあるわけで、他国の人間が想像するスペイン人を絵に描いたような類型化がされている点ではおもしろかったと言えます。翻訳者が解説で嘆いているのは、日本国に「民衆のための劇」は数あれど「民衆の劇」が根づかないのはどうしてだろうねえ、ということです。そりゃ、「演劇」は西洋から輸入されたもんだからだろう、と言いたくなりますけれど、輸入されてのちに定着したものもたくさんありますね。当時の大学進学率を見れば、知識人と一般大衆の差は今よりずっと大きかったのは一目瞭然ですが、こうしてあらためて文章として読むと新鮮でした。


フェデリコ・ガルシーア・ロルカ『ベルナルダ・アルバの家』(未來社)

ベルナルダ・アルバの家 (てすぴす双書 42)

ベルナルダ・アルバの家 (てすぴす双書 42)

 『血の婚礼』より楽しめました。フェデリコ・デ=ロベルトの「ロザリオ」をなんとはなしに思い出す発端がよいです。今でいう「認知症」に該当しそうな祖母が出てきます。たぶん「おぞましい」雰囲気を出すために登場するのだと思いますが、女が女を抑圧するけど、抑圧する女もまた社会に抑圧されており、みたいな構図もまた、今となってはありふれていますね。戯曲は舞台を観るのがいちばん、なのでしょう。興津要の本だけで落語を楽し婿とが難しいのと同じ。文学はその時代の規範を保存する装置でもあるわけで、こういう社会だったんでしょうか。