「日本人」は他宗教に寛容じゃありませんでした(シリーズ大きな主語①)
高校日本史の教科書に書いてある事項も多いです。不備が多かろうと思われます。ご教示くだされば幸いです。
587年 丁未の乱 崇仏派の蘇我馬子らが廃仏派の物部守屋一族を滅ぼす。
1260年 『立正安国論』 日蓮が『法華経』を信じない浄土宗などを邪法と非難。浄土宗の宗徒が激高し日蓮を襲撃。得宗・北条時頼により日蓮は伊豆に流罪となる。
1532年 天文の錯乱 一向一揆が奈良に突入。興福寺の全ての塔頭を焼き払う。猿沢の池の鯉や春日大社の鹿を悉く食い尽くしたと言われる。本願寺は奈良に永代禁制となる。
同年 天文法華の乱 日蓮宗徒の京都町衆が細川晴元らと組んで一向宗寺院を焼き討ち。
1536年 天文法難 法華信徒の松本久吉が比叡山の僧・華王房を論破。延暦寺は京都法華衆の撃滅を決議。延暦寺と六角定頼の連合軍が三千とも一万とも言われる法華宗徒を殺害。
1587年 九州征伐 豊臣秀吉は九州征伐の途上でキリシタン大名や宣教師らが多数の神社仏閣を焼き、仏教徒を迫害していることを知る。
1597年 二十六聖人の殉教 京都のキリシタンが一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ(秀吉の命では耳と鼻を削ぐように言われていた)、市中引き回し。徒歩で長崎へ向かい、西坂の丘で群集の見守るなか磔刑に処される。
1622年 元和の大殉教 長崎の隠れキリシタン55名が処刑。
17世紀 儒教を重んじた江戸初期の三名君は神仏習合を廃し、寺社を整理・削減する。
1669年 不受不施派寺請禁止令 江戸幕府は日蓮宗不受不施派の僧をたびたび流罪に処したが、この年に寺請を禁止。実質的な非合法化。
1690年 寛永寺座主に公弁法親王が就く。以後10年ほどで玄旨帰命壇、真言立川流を断絶させる。
19世紀 水戸藩は大砲を作るためと称して寺院に梵鐘・仏具を供出させ、多くの寺院を整理した。
1867年 浦上四番崩れ 幕末から明治にかけて長崎のカトリック信徒が過酷な拷問を受ける。
1921年 第一次大本事件 内務省は大本教の神殿をすべて取り壊すことを決定。
1933年 第一次天津教弾圧事件 神道天津教の本部が警視庁から閉鎖を命じられる。
1935年 第二次大本事件 大本教が政府から弾圧される。
1937年 ひとのみち教会が邪教として解散させられる。
1938年 天理本道が結社禁止となる。