ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

8月に読んだ本

今村和宏『わざ:光る授業への案内』(アルク)
www.bookpark.ne.jp
たぶんこの月に読んだんじゃないかと思いますが、7月かもしれません。実店舗でもオンライン書店でも在庫なしですが、オンデマンド出版で販売されています。「脳細胞の回路を作りやすい」とか「論理的な左脳と創造的な右脳を総合的に活用させる」とか、ところどころ「ん?」となるのが玉に瑕です。こういう授業なら受講生も退屈せずに習得できるよね、と素直に取り入れたくなりました。具体的な小技も紹介されつつ、とにもかくにも、まずは「体を使え」。



権丈善一『ちょっと気になる社会保障』(勁草書房)

ちょっと気になる社会保障

ちょっと気になる社会保障

 読んでよかった。序文から引用すると、

社会保障って、なんだか気になるんだよね。ちょっと知りたいと思うんだけど、なに読めばいいんだろ。政府の資料もいろいろとあるみたいだな。でも、なんか胡散臭いしなぁ。となれば、テレビで見たことのある人の本やよく売れてそうな本を読めばいいのかな。なるほど、これはおもしろいぞ、政府っていつも国民を騙そうとしているわけか。うんうん、そうかそうか……世の中はやっぱり陰謀で動いてんだよなぁ。…というような、脱藩官僚と脱落官僚の違いも分からない感じの人、そして政府は100年安心なんて一言も言っていないなんてことも知らない人、さらには今ではこの国の社会保障の課題は年金ではなく、むしろ子育て支援や医療介護に改革の焦点が当てられるべきことを知らない人たちが読んでくれる本でも書いてみようかなと思って書き始めてみたのですけど、やっぱり読んでくれないでしょうね。

 そうなんですよね。私同様ぼんやりした人間は、見たくもない現実は見ようとしないし、目の前に見せつけられても信じようとしないものです。けれども、著者は言います。

今すぐにとは言いませんが、できましたらいつの日にか、社会保障をもっとよくし、この国をもっと住みやすい社会にするために、僕らと一緒に社会保障についての正確な理解を、まわりの人たちに伝える役回りになってくださいませんか? 僕はそういう人たちを、ポピュリズムと戦う静かなる革命戦士と呼んでいるのですが(162頁)

 というわけで、私もこの本を宣伝します。今、この駄記事をお読みになってくださる方は微々たるものでしょうが、もしその中に、「年金制度は破綻するんでしょ?」とか「国会議員や公務員がまず定数と給与を削減しろよ」とかお考えのかたがいらしたら、どうぞ本書をお手に取っていただきたい。陰謀論に引っかからなくても、それによって得するのは誰か、に思いを巡らせることはできるのであって、どうして世代間格差を煽るのかについて、なんかも。損して得とれ、とはすこし異なるかもしれませんが、長い目で見たときにどうか、たとえば、厚生年金の適用範囲を拡大すると、たしかにそれによって今の手取りが減ってしまう場合もあるのですが。
 それにしても、著者もそうですが、日本国の中央官庁の人たちも、私なんかと比べると雲の上にいるかのように優秀ですね。国民からかくも不信の目を向けられながらも、ほんとうによくやってくださっています。まあ、庶民というものは、受像器で野球の試合を観ていると自分が監督よりうまい采配をふれるように錯覚するし、自分の思いついた方針を採用すれば学校教育が改善すると妄想するしで、専門家の専門性に敬意を払わない傾向にあります。インテリの一票より莫迦の三票。このようにあけすけなことばを著者は用いませんけれど、潤沢なキャンペーン費用を払える者が多数決で勝利するわけで、それに対抗する策もおのずと明らかに思われます。



規制緩和」派は将来に対する不安や懸念を蔓延させることをまんまとしおおせました。



姫野昌子ほか『ここからはじまる日本語教育』(ひつじ書房)

ここからはじまる日本語教育

ここからはじまる日本語教育

日本語教育を実践するにあたっての初歩の初歩、心構えや指針が書いてある本です。千九百九十八年に刊行されました。ちょっと時代の限界を感じる……。「人間が好き、言葉が好き、好奇心旺盛なネアカ型タイプの方なら素質十分である」(はしがき)、「いわゆる“アジアの花嫁”と言われる日本人配偶者」(13頁)、「テレビを見ていたら、美しいソプラノで『昴』を歌い上げ、外国人歌謡大賞に決まった上品な感じの女性が、インタビューの際、応援に来ていた夫と抱き合った後で『この人、ほんとにあたしに惚れてっからさ』と言った。それを聞いて、会場の人々は興ざめしてしまった」(67頁)等々。日本語を学習する人を「外国人」に限定している点も前提としていてよいのか気になりました。線画で教える方法などは役立てていきたいと思います。差し引きすると、有益な本という結論になります。



岡本薫『世間さまが許さない!:「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」』(ちくま新書)

世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」 (ちくま新書)

世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」 (ちくま新書)

 民族性や国民性の話題は話半分に聞いておくべきです。著者は序論で本書を「研究成果の一部」と位置づけていて、電網空間ではそれを真に受けた読者が内容の非科学性を論難しているんですが、著者にしてみれば、「しゃれのわからねぇ奴だ」と苦笑するところかもしれません。気楽な読書に向いた本です。内村鑑三先生なら、そんな暇があったら語学をやれと言いそうですが。*1
 著者の論点はふたつです。ひとつは、自由と民主主義は日本人に向いていない。もうひとつは、自由と民主主義のせいで日本的モラリズムが機能不全をきたしている。だから、自由と民主主義をもうやめろ、と結論で主張されます。これを真顔で主張する人が見受けられますが、まあ、ねえ。
 自由と民主主義は多様性と価値相対性を基盤にし、「絶対的に正しいこと」の存在を認めません。もし存在するなら、多数決制や思想信条・行動の自由などは必要ありませんから。自由と民主主義のもとで、人の内心はすべて(どう思おうと)自由です。行動はルールを守るかぎり自由です。
 日本的モラリズムは、同質性と共通モラルの絶対性を基盤にしています。その特徴は四つあります。①あらゆる問題をルールやインセンティブ構造などのシステムの問題ではなく、モラルの問題として考える。②人類のモラルは共通するはずだと思い込み、モラルの基準を神でなく、世間さまに置いている。③モラルを超ルール的正義として、自由を無視する。④モラルを超ルール的正義として、ルールを無視する。
 具体例には事欠きません。たとえば、テレビ番組でLGBTの人に対して俳優が、「おれはいいけど世間がゆるさないよ」、と言いました。店内で騒ぎ立てる子を叱る際、親が「ほら、お店の人に怒られるよ!」。被疑者の弁護士を悪の手先のように罵る。「親日国」と「反日国」。「なぜ」を五回問うと、原因が心の問題に行き着く。横綱が変化するとブーイングを浴びせる。「波紋を呼びそうだ」。「説明責任を果たすべきだ」。「お騒がせして申し訳ございません」。店内の椅子に長時間居座る客のことで、別の客が「ああいうのを許すな」。「裏切られた」。行政はもっと有害図書を取り締まれ。「想定外だった」。私の見聞きした範囲でも、こんなに日本型モラリズムが。
 日本社会では、自分のモラルと世間さまの基準が社会正義と同一視されますから、契約(しなければいけないこと・してはいけないこと・してもしなくてもいい自由なことの確定)ができません。そういえば、社会契約は近代憲法の理論的な基礎でしたね。人権の名のもとになんでもできると思ったら大間違いだ、だの、義務を果たさずに権利ばかり主張し、などと言いだす人がいます。現行憲法だけでなく民法でもなんでも、近代法は日本人には合わないのです。



丸山敬介『教え方の基本』(京都日本語教育センター)
www.bonjinsha.com
現在流通しているのは改訂版ですが、私は元の版で読みました。日本語教育の実作業を確認する本です。パターンプラクティスを推奨しています。それは改訂版でもかわりません。ですが、第二言語習得研究の本によると、パターンプラクティスより意味のある内容で練習したほうが有効のようです。第三部の線画のかきかたはなかなかよいと思いました。
 『みんなの日本語』は、「本書の使い方」を律儀に守ると、どちらかと言えばパターンプラクティスが中心の教科書になります。版元のかたもその点を踏まえて、コミュニカティブな教材に変える手がかりを提供してくださっていますよね。
日本語教材(学ぶ・教える)\ その他関連

熱心な実習生ほど陥ってしまうことですが、ともすれば非常に細かい情報を細大漏らさず調べ上げ、それをそのまま学習者に提供してしまうことがあります。(206頁)

 『みんなの日本語』初級を進めながら、『日本語の教え方の秘訣』に書いてある教師の留意事項を残らず教える学校もあると聞きます。教えたらぜんぶ理解して身につくのであれば、これほど簡単なこともないのですが。



モーダックほか『最底辺のポートフォリオ:1日2ドルで暮らすということ』(みすず書房)

最底辺のポートフォリオ ――1日2ドルで暮らすということ

最底辺のポートフォリオ ――1日2ドルで暮らすということ

  • 作者: ジョナサン・モーダック,スチュアート・ラザフォード,ダリル・コリンズ,オーランダ・ラトフェン,野上裕生,大川修二
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2011/12/23
  • メディア: 単行本
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 にわかに貧困の定義、基準が注目を浴びるようになりました。二千十五年に世界銀行が定義した絶対的貧困は、一日の収入が購買力平価で一ドル九十セント以下であることです。そして、相対的貧困の定義は、等価可処分所得が中央値の半分以下になる世帯、です。

どなたか存じ上げませんが、こちらのウェッブログに本書の要点が書いてあります。
ameblo.jp

 訳者解説に「横山源之助の『日本の下層社会』のように、「貧困」をテーマにしたルポルタージュとしても読めると思う」とあります。箪笥預金がそっくり盗まれたり、土地を売って夫の治療費を捻出したやさきに夫が死亡したり、といった貧困者の日常を知ることができるのです。本書を読みながら、常に、ある日本人のことが頭にありました。その人とは仮想空間のみでのおつきあいですが、SNSで暮らしぶりと拝見しております。日払いの仕事と週払いの仕事を掛け持ちしており、絶対的貧困層の人と同様に、日々の収入が不安定です。また、クレジット・カードや消費者金融を利用して、実体の何倍かのフローを生み出しています。本書の調査対象者との違いは、金銭の管理技術です。まとまった収入が入ると、借金の返済より、映画などの娯楽につかってしまうのです(少しでも金が手に入ると酒を飲んでしまう人も、落語国の住人だけでなく実際によくいるようです)。にわか雨に降られて、ビニル傘を買ったら、食事代に困ったなんて日もありました。そんな日々ですから、返済期限が迫るたびに肝を冷やしています。貯蓄クラブ(頼母子講)を利用して強制的に現金を残しておけたら、もう少し不足の事態に備えられるのでしょうが。



小竹文夫『上海三十年』(弘文堂)

上海三十年 (1948年) (アテネ文庫〈28〉)

上海三十年 (1948年) (アテネ文庫〈28〉)

 再読。アマゾンの古書価は五千円ですか……(二千十六年八月三十一日時点)。いつどこで買ったか忘れましたが、わりと状態の良いものを千円前後で購入したように思います。十余年古書店と古本市で探し回ったけれど全然出くわさず、あっても状態がよろしくなくてで、見つけたときの喜びはひとしおでした。地方都市の古本屋さんのほうがアテネ文庫の値付けが安いような気がします。気のせいかもしれませんし、アテネ文庫自体が安値になっているのかもしれません。本書と同時に高島敏夫の『漢字と日本人』(文春新書)を薦められたのでした。薦めてくださった先生は、いかにも儒学者然として格好よかったものです。最終講義を拝聴できなかったのがいまでも心残りです。

池田誠「<批評・紹介>小竹文夫著『上海三十年』」(<<東洋史研究>>第11巻第1号)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/138905

 中国社会の「汚穢・奇怪・喧騒の中にも一種の秩序と安易さ、平穩と自由さが存することが感ぜられて來た。…己に關はりなき他人に對する絶對不干渉があり、所嫌はぬ吐啖も放埓ながら一種の自由である。…その他、菜館は汚穢だが、料理は田舎でも頗る美味の熟食であり、財布や時計が落ちそうになつていても注意して呉れる人も無い代り自分のことは自分で始末をせねばならぬ。」
このあたり、よくわかります。「世間さま」のいない気楽さだと思います。

 著者は中国人を徹底した現世主義と規定し、その三大欲求は福(多子)・禄(財貨)・寿(長命)であるとします。これも納得できます。現世主義者は孤独を嫌う。なんとなれば、隠遁はなにがしかの点で現世を厭うことだから。というわけで、基本的に個人行動をしません。いわゆる「ぼっち飯」も少ないです。日本より中産階級の人たちが投資や微商*2に熱心です。長生きのために屋外運動(広場舞、太極拳)、スポーツジム(ヨガ、マッサージ)、(非科学的な健康食品)が大好きです。

 中国人ほど「密居密集を好む民族は少ないやうである。」「彼等は絶えず街の大通りや廣場・市場・茶館・などに集つて喧しく談笑したり用事もないのに街を歩き廻つたりしてゐる。」団地の辻々や商店の軒先で老人が、喫茶店内で若者がポーカーや麻雀、中国将棋に興じている風景はおなじみですね。また、中国における「『家』とは、夫婦を中心とする斷片的な西洋の家や、祖先の繼承を重んじる日本の垂直的な家と異なる。現に血緣に連なる物凡てを含んだものである。從つて兄弟は勿論、從兄弟、再從兄弟も亦『家族』であって」、親戚のことも“おにいさん”“おねえさん”などと呼びますし、初めて会った親戚が何十年来の知己のように世話を焼いてくれます。

 中国人が「西瓜の種子を嚙るのは、長い閑談に撮み物が必要であると共に早く腹の脹れるものでは不可ないからである。」現代では西瓜より向日葵の種をよく見ます。

 私が見たかぎりでは、バスで人に席を譲る人も路上で喜捨する人も日本より多かったのですが、道教の教えの中には、極楽往生するために功徳ポイントを貯めなければならないものがあるそうで、したがって、喜捨される側もじつに堂々と喜捨を要求します。

 強烈な現世主義の欠点として、内面の空虚さ、血縁集団を超えた協同性の薄さを著者は指摘していますが、まあ、国民性というものは話半分に聞くのがよくて、普遍的なものではありません。現代でも、上海のような一級都市民を中心に、“ポスト・モダン化”が起こって、ひとり静かに何かするのが好きな人も増えています。