ポレンタ天国

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ジョージ・オーウェル「イギリスの階級制度」より

There is, however, another noticeable division in the middle class. The old distinction was between the man who is "a gentleman" and the man who is "not a gentleman." In the last thirty years, however, the demands of modern industry, and the technical schools and provincial universities, have brought into being a new kaind of man, middle class in income and to some extent in habits, but not much interested in his own social status. People like radio engineers and industrial chemists, whose education has not been of a kind to give them any reverence for the past, and who tend to live in blocks of flats or housing-estates where the old social pattern has broken down, are the most nearly classless being that England possesses.

「けれども、中産階級には顕著な区分がもうひとつ在る。伝統的な区分は『紳士』と『非紳士』だった。ところが、ここ三十年のあいだに、近代工業の要請を受けて、また、実業学校と地方大学によって、新種の人間が誕生している。この人たちは収入の点で、そしてある程度は趣味の点でも中産階級なのだが、自分自身の社会的地位にそれほどこだわらない。無線技士や民間の化学者といったひとびとは、受けた教育は過去に対してなんら敬意を払わせないようなものであるし、住みたがるのは集合住宅や公営団地(この手の場所では伝統的な社会生活の型が崩壊している)であるしで、こうした人たちよりも無階級に近い存在はイングランドにない。」(拙自由訳)


「過去に対してなんら敬意を払わせないような」教育とは、ラテン語、古典ギリシア語に関係しないものを教えることです。

 生産に関係ある科目、実践的科目を教えることは、下層階級に対して行うものであるから、「役にたたない学問」こそ、パブリック・スクールの正当なカリキュラムであったわけだ。ここでの教育は、「いかにして国の指導者になるか」とか「紳士の風格をいかにして身につけるか」を体得させることにあった。
 パブリック・スクールを出てから、オクスフォード大学やケンブリッジ大学に進むレールは敷かれてあるから、大学における教育も質的に同様だった。大学も紳士養成機関であって、学生たちも現在の大学生のように、「就職活動」のような「下品」な真似は絶対してはならなかった。強く要請されて、しぶしぶ高級官僚、判事や弁護士、陸海軍士官になったりするのが普通だった。
…イギリスの教育制度は、このような歴史的背景を持ち、紳士とそうでないものを識別するために存在した。そうでなければ、本格的紳士階級をめざす新興成金階級は承知しなかったのだ。*1

 対照的に、極東の島国では、学校の勉強や大学の学問は社会に出てから役に立たない、いった非難がまま見受けられます。近年は大学予算がどんどん削られて、大学教員の嘆きを目にする機会が多いです。大学関係者でない人はどちらかというとそうした状況に無頓着であるように見えるのは、やはり大学で学ぶことなど無益だと思われているからでしょうか。だとすれば、大学教員にしてみれば、教育の敗北ということになるのかどうか。仮想空間で私の目にする大学教員には、こういう人の指導の受けてみたいと思わされるかたが大勢いらっしゃいます。

 本文にあるように、二十世紀に入ってから、英国でも「実学」を学んで技術者になることを厭わない人が増えたようです。

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*1:山田勝『イギリス人の表と裏』(NHKブックス)、167~171頁

イギリス人の表と裏 (NHKブックス)

イギリス人の表と裏 (NHKブックス)