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ポレンタ天国

ちょいデブおやじのダイエット奮闘記です(笑)

9月に読んだ本

東京YMCA日本語学校・編『入門日本語教授法』(創拓社)

入門 日本語教授法

入門 日本語教授法

初級文法の分析、留意点と導入の仕方や練習法からなります。斜めに読んだだけなのですが、もう歴史的使命を終えた本じゃないかという気がしないでもないです。初級文法についても導入の絵についても、いまではこれより充実した内容の類書なりウェブ・サイトなりがありますから。


土岐雄三『わが山本周五郎』(文春文庫)

わが山本周五郎 (文春文庫)

わが山本周五郎 (文春文庫)

著者はいまとなっては「埋もれた」作家です。本書をみつけるまで存じませんでした。山本周五郎が売れっ子作家になる前に親しくしていた人たちから見た山本周五郎。山周がまわりの編集者や作家、妻を犠牲にして自分の小説道を邁進していく独善ぶりを描いています。著者は専業作家にならず、銀行員をつづけながらでした。このため、「ふつうで何が悪い」という視点を失わずにすんだようです。もっとも、残業後に帰宅してヒロポンを打ちながらコントを書く人は「ふつう」とは言いがたいかもしれません。


アルステア・マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』(ハヤカワ文庫NV)

貧乏性ゆえに大衆小説をあまり読みません。『ガダラの豚』は読みおえるまで一週間もちませんけど、『ニコマコス倫理学』なら二週間以上かかりますから。私の知らない世界でたいへん評価の高い小説と聞いて、読んでみました。もっと若いうちに読んでおけば、それだけいっそう印象に残ったことでしょう。魔法瓶に珈琲を詰めるか分厚いマグにココアを入れるかして再読したいと思います。


林巧『チャイナタウン発楽園行き:イースト・ミーツ・ウエスト物語』(講談社文庫)

子供のころに雑誌の購読にあこがれておりまして、なにか手ごろな雑誌はないものかと思っていたところへ、<<怪(KWAI)>>があるじゃないかと。結局毎号読むにはいたらずに中途でやめてしましたが、その連載に「老林亜洲妖怪譚」がありました。この作者を思い出したきっかけは、管啓次郎の『ホノルル、ブラジル:熱帯作文集』(インスクリプト)です。そのなかで管啓次郎が紹介するしかたがよかった。それが本書の解説だったのです。『世界の涯の弓』という題名の小説がおもしろくないわけないのと同様に、チャイナタウンから広がる世界は楽しいに決まっています。本書はこっちの果てからあっちの果てまで行ったり来たりする紀行文。若いころは行ったことのない、これから行く予定もない土地の文章なんて読んでどうするんだと思っていました。今の私はド・セルヴィ主義者なので、そんな些末なことは気にしません。だいたい、釜石の橋上市場神戸元町高架下に行く交通手段は「読むこと」くらいしかありません。


ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』(NTT出版)

資本主義が嫌いな人のための経済学

資本主義が嫌いな人のための経済学

若かりしころの私は、社会正義の問題など簡単だと考えていた。世界には二種類の人間が――根っからの利己的な人間と、もっと寛大で思いやりのある人間がいるように思われた。世界に不正や苦難があるのは、利己的なやつが自分の利害にかなうよう仕組んだせいなのだ。したがって、この問題の解説法は、もっと思いやりを持つように人々を説得することだ。(346頁)

 私も若いときはそう思っていました。さすがに今は承知しています。たいていのことはすっきりはっきりしていません。そして、勉強すればするほど、ますますわからなくなります。社会科学にうといまま馬齢を重ねることに対して、なんとはなしに恥ずかしさを覚えるようになって、いまさら勉強しはじめました。ほんとうにお恥ずかしいことですが、まあ、すぎてしまったことはしょうがないので、これから精々がんばりたいと思います。

 右派と左派の主張によくある経済学上の迷信がなぜ誤りかを解説してあるわけですが、代表的なものをいくつかここでご紹介します。①まず、減税は経済を刺激しません。「学校や医療への支出が減って、車や家への支出が増えるだけのことだ。」(104頁)②つぎに、国際貿易に勝ち負けはなく、国家間の国際競争力はどうでもいい(これについては、リカードの比較優位あるいは比較生産費説として高等学校の政治経済で学習したような気もします)。③そして、移民は先住者から仕事を奪わない(労働塊の誤謬)。「移民は労働力の供給を増やす一方で、セーの法則で同時に財の需要も増大する(移民の労働力の供給が財の需要を構成するから)。企業はこの需要増に応じるために生産を拡大しなければならず、もっと多くの労働力が必要になる。だから一国の失業率は、その国の人口とは関係ない」(249頁)。*1④それから、ケインズの主張では、「需要はおそらく大不況のどん底で、金利が可能なかぎり下げたときでなければ、刺激する必要はない」。金融緩和だけではどうにも成果が上がらないときにようやく財政出動公共事業をしなさい、ということですかね。となると、今の日本経済もクルーグマンの言うとおり……。⑤あと、企業に課税を強化しても消費者は得しない。どのみち製品やサービスを増税された分だけ値上げしますから。

 「第10章 同一賃金」も考えさせられましたが、*2「第11章 富の共有」も、今夏に相対的貧困をめぐる騒動があったために、つよく印象に残りました。「遅延割引」(本書では「割引関数」)や「双曲割引」と呼ばれる概念を用いて、貧困家庭は資金管理能力を欠くので現金給付は効果が薄いことを説明する章です。ディケンズの小説に出てくる昔ながらの「貧窮」と異なり、豊かな社会では「難治性貧困」が課題になります。

 ある夫婦は洗濯機が壊れたせいで洗濯に月200ドル、ガス代の滞納分400ドルが払えないために外食代を月に200ドル払っています。さらに、オジー・オズボーンのライヴに161ドル、映画のレンタルに月額50ドル、クラフト・フーヅのマカロニ&チーズに100ドル等々。夫曰く、「利口だったら、もっといい暮らしができただろう。…でもね、ただ、家でじっとしてることができなくて、オッケー、この金で夕食に行こうよと言う。それでおしまい。ポケットに一0ドルあって、家にいるのにうんざりしてたら、外に出てアイスクリームと夕食に一0ドル使ってしまうんだ。」(293頁)

 なんとも現実感に満ちた例でして、私のまわりにもこういう人はいます。あるいは程度の差こそあれ、私自身がそうです。*3で、いささか思慮の乏しい人なんて「自己責任」なんだから放っておけ、となって放っておいたら死んでしまう子供がおおぜいでてきて、子供に罪はないだろ、の声が大きくなる。だからと言って、現金を支給しても、このようにたちまち使い果たすことでしょう。そこで、貧困者はもっと情報が必要だ、きちんと教育を受ければ正しい選択をとれるはず。

 けれども、そうは問屋が卸さない。「自分から進んで何も学ぼうとしない人を教育することはできない。情報を与えることはできても、それに注意を払わせることはできない。極度の双曲割引が困るのは、長い目で見た便益を達成するために目先の不利に耐えようとしないことだ。教育を身につけることは、まさしくこうした人たちが受け入れようとしない侵害の典型例である。」(303頁)

 英語が身につかないと嘆く人は思い当たる点がないでしょうか。じゃあ、どうするか。メヒコのオポルチュニダデス計画に代表される施策は、アリとキリギリスの寓話を千回読み聞かせるかわりに、福祉給付に条件を付けます。生活保護手当をもらうためには、子供をきちんと学校に通わせ、ワクチンを接種させ、定期健康診断を受けさせなければならないようにするのです。無駄遣いをなくすために現金給付から配給切符にすると、「スティグマ」が強まる懸念がありますけど、これならその心配はなさそうです。支給条件の設定はなかなか厄介な気もしますが。

 訳者のあとがきによると、本書は2009年にカナダで出版されました。翌年に米国版が刊行され、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏、それに、フランス語、スペイン語、韓国語、中国語の翻訳版も出ているそうです。そして、2012年に日本語版、それから、イタリア語、クロアチア語版も待機中(2012年1月時点で)とか。ライトバウンほか『言語はどのように学ばれるか』(岩波書店)もたしか日本語版より中国語、韓国語、ブルガリア語版のほうが先に出版されていました。経済大国のみならず翻訳大国の名称も譲り渡した感があります。

*1:こちらにも似たようなことを書きました。 pluit-lapidibus.hatenablog.com

*2:pluit-lapidibus.hatenablog.com

*3:岸政彦の『街の人生』(勁草書房)で語る野宿者と、トム・ギルの『毎日あほうだんす』(キョートット出版)に登場する日雇い労働者は対照的な性格ですが、貯蓄の苦手な点は共通しています。

街の人生

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毎日あほうだんす―寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界

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