ポレンタ天国

たぶん読んだ本・見た映画の記録が中心になります

9月に読んだ本・見た映画

ソイ・チェン監督『ドラゴン×マッハ!』


「ドラゴン×マッハ!」予告編

マックス・チャンを堪能する映画。ウー・ジンって全力少年感が強いですが、本作でも。

中嶋隆蔵(2006)『中国の文人像』(研文出版)
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文人が「理想としては、古今に通じ道理を究め具体的政治に実質的提言を行いうる文章を作成する能力を具えつつ、同時に強烈な個性と豊かな人間性とを言語表現の上に見事に発揮しうる人物として造形されてきた」というくだりは初期ルネサンスフィレンツェの書記官を想起しました。


興膳宏(2003)『古典中国からの眺め』(研文出版)
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「(吉川幸次郎)先生の演習での指導ぶりは、私(興膳宏)にとってはやはり苛烈そのものだった。担当者が少しでももたもたしだすと、にわかに先生の表情がけわしくなって、堪えかねたように特徴のある貧乏ゆすりがはじまる。この状況がなおしばらく持続しているうちに、ついに雷さまが落ちる。
『君、調べてきてあるのかネ、エ?……わからなきゃはじめから断りたまえ!』」(116頁)
「大学院生のころには、作詩文の授業があって、やはり小川(環樹)先生の指導を受けた。夜明けまで呻吟に呻吟を重ねてやっと何とかまとまった、しかしできばえはさほどでもない詩や文章(もちろん漢文)を、眠い目をこすりながら毛筆で清書していって、先生に添削を請うのである」(122頁)
「コンパといっても、百万遍周辺の料理屋で冷えたビールのグラス片手に鍋を囲むという今どきのコンパ風景とはほど遠く」(161頁)「季節料理 門」のことでしょうか?
「コンパといっても…朝から京都北郊外北山のハイキングコースを歩き回り、飯盒炊爨に恰好の場所を見つけて、キャンプさながらに怪しげな煮炊きをし、やかんで燗をつけた清酒を飯盒の蓋で飲むという野趣に富んだものだった。吉川幸次郎小川環樹といった大先生も、革靴のまま炎天下の山道を歩かれた」
「入矢(義高)先生の風呂嫌いが話題になった。…誰かがあきれて、『じゃあ、先生はどうやって身体の垢を落とされるのですか』と聞くと、先生何食わぬ顔で、『ときどきシャツの中に手を入れてこすると、垢が玉になって落ちてきます』」(162頁)
「フランスの中国学者の友人と話していると、最近は若い世代の中国学者で日本語のできる人が少なくなった、という話をよく聞く…以前は…それだけ日本の中国研究の水準が高かったことを暗示する事実でもある」(201頁)
「中国学者の間で日本語が敬遠される遠因として、日本の専門書の高価なことがある。高すぎて個人で買えないだけではない。図書購入の予算にゆとりのないフランスの大学や研究機関では、日本で出版された書物を買い控える傾向がある」(203頁)
イタリアも同じかな🤔



エウジェニオ・ガレン(1975)『イタリア・ルネサンスにおける市民生活と科学・魔術』(岩波書店)
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「それのみが人生を生きるに価いするものとさせるかの価値、即ち自由の名のもとに、フィレンツェは人々の理想の祖国となる。…それのみならず…正義のために抑圧され追放され流浪と闘いをつづける者はすべて、理念的にはフィレンツェ市民だとされるのである」(7頁)
「(レオナルド・ブルーニにとって、古代ローマ帝国時代の)ローマは、それ以外の中心地を窒息させて生きる寄生動物と考えられる」(50頁)東京……

プラトンの『国家』がよく読まれ、理想都市の実現が図られ、という流れのなかにマキャヴェッリもいるわけか。愚かにも今までわかっていませんでした。で、ジョヴァンニ・ボテーロが出てくる。

「(アンジェロ・ポリツィアーノ)は、当時進行していた精神大革命のあらゆる力を体現した人物であった。かれにとって文献学とは、言葉をその完全な意味において探求し、その固有の歴史的次元において発見することを意味する」(83頁)
「文献学は、あらゆる形の理論を人間活動の世界内に連れ戻し、あらゆる記録、あらゆる学説、あらゆる教義、あらゆる権威を、その時代のなかに置き直すような批判である。なぜならば、このウマニスタ的文献学だけが…あらゆる権威に対する最も公正な批判を開始し、それを根底まで正当化したものだから」

文献学が諸学の学だった。レオナルドもガリレオもその点でルネサンスの人です。認知哲学の人も認知科学の学際研究に参加していることについて、神経科学の人たちはどう思っているのか若い頃は不思議でしたが、ウマネジモの伝統でもあるわけですね。ガレンみたいに何でも読んで何でも語れちゃう人、そういう偉大な人文学者の本は読んでいてわくわくします。



桑木野雪司(2018)『記憶術全史:ムネモシュネの饗宴』(講談社選書メチエ)
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若いときは気がつかなかったけど、ウンベルト・エーコの提唱した〈忘却術〉って「記憶術」のパロディですよね? そういえば東アジアの記憶術って聞きませんよね。膨大な暗記が必要だったはずですが。